靴を磨く。
たいていは、金曜か土曜に磨く。
日曜には磨かない。日曜に磨くと気が滅入る。
靴は、背広と同じく仕事とつながるアイテムだが、
果たして、仕事が好きなのか、嫌いなのか。。。
靴を磨くのは、他界した親父の影響だろう。
地位も名誉も金も、人に優れて得ることは無かった男だったが、
良く靴を磨く男だった。
人あたりが柔らかく、分け隔てをしない人柄と言われた様だが、
それは、生まれ持った性格であって、努力して磨き上げた性格ではなさそうだ。
その人生にも、時には、楽しいこともあっただろう。
たまには憤ることもあっただろう。
小ずるい事も、おそらく、しただろう。
知る術は無いが、艶っぽい事柄もあったのかもしれない。
けれど、強烈で、激しい人生を送ることはありえないし、望みもしない。
息子から見れば、その人生は、穏やかで平凡なものであったと思う。
靴を磨く後姿。思い返すのは、そんな、ささいなことばかりだ。
かつて、そんな親父を超えたと思ったときがあった。
ただ、今思えば、それは一時の気の迷いか、何かの勘違いだったようだ。
自分の中にある、父親から受け継いだもの。
それを、かつては嫌だと思ったが、今は静かに、それと対話ができる。
道標となるような男ではなかったが、この上ない親父だった。
今日は彼岸。
朝方には激しい雨が降ったが、昼過ぎに止み、やがて透き通る青空になった。
彼岸と此岸が交じり合う、この日にふさわしい「はからい」なのかもしれない。
「はからい」というものが、もし、あるとするならば、
それは、きっと、このような、ささやかなものに託されている。
今は、そう思う。