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2016.08.27
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フロイトに端を発する精神分析は患者のことばに耳を傾け、生活史に参照して、現在の症状の原因を過去のうちに炙り出します。これが評判は悪いのは、患者に思い出したくない事実を思い出させるので、大きな負担になるからです。またそれ以上に、患者が他罰的になり、ときにはありもしない過去を捏造する危険性も、最近では深刻視されています。

 

これに対し、アドラーは原因究明などには頓着せず、これから自分ができることを考えよ、と教えたとひとまずはいえそうです。しかしだからといって、アドラーが本音のところでトラウマの存在を完全に否定していたとはちょっと思えません。過去の原因がなければ現在の結果がないのは明白な事実であって、思うに、アドラーは症状の原因を細かく探究するのは手間暇かかる上に、それに見合った効果も期待できないので、症状が浅ければ原因究明はひとまず措き、目を未来に向けた方がずっと生産的で効率的だ、ぐらいに考えていたのではないでしょうか。

 

人間は誰でも容易に一般化しえない、自分だけに固有の深い問題を抱えています。やる気スイッチの押し方、アクセルの踏み方を知っておくのは重要なことですが、どうしても一歩を踏み出せないとしたら、それは過去の習慣ないしできごとが根強く彼の行動をしばっている可能性があって、この解決には無意識のレベルや個人の生活史にまで踏み込んだ、慎重で息の長い治療が必要かもしれません。


 

 蓋し、人間の本性に迫る事象の読み解きはアドラー心理学の適用外で、本格的な精神分析が役立ち得る範疇だといえるのではないでしょうか。「もちはもち屋」といいますが、人間の根深い問題にアドラー心理学で立ち向かうのは、自己啓発にフロイト心理学をもちだすのと同じぐらいの弊害がある、と私は考えています。





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最終更新日  2016.08.27 12:57:41
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