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2016.09.10
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われわれは凶悪犯罪の犯人が逮捕されたとき、「心の闇」などということばで犯人の不透明な心理を表現します。しかし「心の闇」などというものは誰にでもあるわけで、分からないものにそのような名前をつけたとろで解決になりません。それどころかそれは犯人を「自分たちと異なる変わった人間」と特別視することに通じ、再発防止の観点からいえばかえってマイナスであるように思います。


 

一般に誤解されていますが、刑事事件の場合、法廷は、有罪か無罪か、あるいは量刑の軽重を巡って検事と弁護士が争う場であって、真実を明らかにする場所ではありません。長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』によると、臨床心理士が被告の成育歴などから被告の心理を読み解こうとすると、弁護士の妨害が入ることがあるようです。つまり弁護士は被告の罪を軽くするのが仕事であり、本当のことが明らかになると、かえって弁護側に不利に働く場合があるからです。

 

 フロイトは『夢判断』において、重要なのは、夢をもたらす潜在思考を知ることではなく、夢の本質は夢加工にある、というようなことをいっています。人間の行動はその心理的要因と一対一対応しているわけではありません。しかし過去がなければ現在はなく、人間の行動には過去の経験が反映していて、われわれはその人間の実存的経験(できごと及び当人の解釈)をぼんやり考えることができます。そしてそのようにして考えることが、人間の心理と行動のねじくれた論理に光をあてることであり、社会はそこから多くを学べるはずです。


 これは私見ですが、精神分析は、いったい過去はどういう風に現在に影響を及ぼしているのか、現在はどういう風に未来に影響を及ぼしそうか、ということを考えるわけですから、その点では歴史学と似ているところがあるかもしれません(もちろん手法は異なりますが)。





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最終更新日  2016.09.10 20:28:27
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