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2016.10.22
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 一般に、学校へ行けば問題の解き方を教えてくれますが、問題の見つけ方は教えてくれません。だからテーマを与えて、「これについて書け」といえばそれなりに書けても、「テーマはない。好きなことについて書け」といわれると窮する人が多くなります。それは自問自答の習慣がないからです。


 われわれは知らず知らずのうちに正解を求める生き方をしています。問題に対する答えがどこかにあって、自分が困っているのは正解を知らないからだと思っています。一般に、「頭がいい」といわれる人ほどその傾向が強いように思います。というのは、試験の点数は、過去問をたくさん解き、難問をさき送りする人ほど高くなるからです(前例踏襲主義とさき送り主義)。しかし人生においては、実は正解のない問題の方が多く、私にいわせれば、心の安定が得られないのは正解を知らないからというより、自分の答えに自信がもてないからです。


 幸せとは何かを考え、それに向けて答えを出すということは、実は非常に個人的なことです。自問自答の習慣のない人は、幸せになる方法を、お金をたくさんかせぐ方法や、他人に賞賛される方法とあいまいに同一視しがちです。なぜなら、幸せになる方法には正解がありませんが、お金をかせぐ方法や他人に賞賛される方法なら、一応方法化されているので、無難だからです。しかしそういう人が努力して望みのものを手に入れたとき、自分が欲していたのはこれではなかった、と気づいて後悔することも少なくありません。


 自分とは何か、幸せとは何か、なぜ自分はこれが好きであれが嫌いなのか、など自問すべき問いは無限にありますが、これらのすべてに正解はありません。結局のところ、自分で問いを見つけ、自分で答えを出す徹底した自問自答をくり返した人だけが、納得した人生を送れるのではないか、と思います。





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最終更新日  2016.10.22 08:44:36
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