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2016.11.12
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 刑事事件などで警察が容疑者を逮捕すると、マスコミがそれを発表報道します。このとき、「安心した」などの住民の声が伝えられることがありますが、安心するのは早計です。というのは警察がまちがえている場合があるからです。誤認逮捕なら真犯人は野放しになっているのですから、逮捕によってわれわれは安心できるどころか、危険がいっそうましたといわねばなりません。警察は国家の味方であって国民の味方ではなく、彼らにとって重要なのは組織としての体面(警察が国民の安全を守っているというイメージ)であって、国民の安全そのものではない、ということを忘れてはいけません。


 それはさておき、一般に事件が起きると世論は被害者に同情する傾向があるようですが、私は被害者に同情するより多く、加害者に興味をもちます。なぜこんなことになったのか、自分ならせずにすんだだろうか、という風に考えるからです。といって、盗人にも三分の理がある、ということをいいたいのではありません。われわれの社会では、誰でもが被害者になりうるとのと同様に、誰でもが加害者になりえます。普通の生活をしている限り犯罪は自分に縁遠いものだと思うのは、けだし危険すぎるのではないでしょうか。


 犯罪は社会のルールによって認定されます。つまり法があるから法を犯す行為(犯罪)があるのであって、同じ行為が地域や時代によって犯罪になったりならなかったりします。たとえば無法地帯では犯罪はゼロです。つまり、本当は犯罪を減らしたかったら、法を厳しくするのではなく、法を撤廃すればいいのです。それやこれやを考えると、先天的な性善説も性悪説もどちらもまちがっていること、生まれつきの犯罪者や生まれつきの反社会的人格など存在しないことが、よく分からないでしょうか(2016年11月14日改訂済)。





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最終更新日  2016.11.14 23:06:56
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