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2016.11.26
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 現代社会において、頭脳明晰はたしかに有力な武器になります。しかし義務教育では、武器の開発以前に、強靭な精神の全領域的な開発にこそ精力を傾注すべきで、たかが現代において有力な武器を手に入れたいがために、感受性の開発や身体の鍛錬などを軽視しすぎるのも疑問です。


 武器は所詮は道具です。道具は長短両面を伴っていて、長所は使えば便利なこと、短所はそればかり使ってしまうワンパターンになることです。一つの道具に慣れ過ぎると、その武器が使えない状況では手も足も出なくなったり、ほかの武器の使い方がうまく使いこなせなくなったりしがちです。たとえば、欧米のアマチュア相撲選手は上半身の筋力が発達していますが、こういう人たちが日本へきて相撲をとるとなるとなかなかうまくいきません。というのは、日本の相撲は下半身の力を使わねば勝てないからです。正確にいえば、上半身の力のあること自体はマイナスではありませんが(ないよりはある方がよい)、それに頼りすぎて、下半身が使えなくなるのが問題なのです。


 同じことが、頭脳という武器についてもいえます。たとえば、もともと政治は「才」(頭脳)でやるものではなく、「量」(腹や肝)でやるものです。だから、頭脳明晰な人ほど政治家になるとつまらない失敗をします。たとえば失言をしてしまったら、たたき上げの政治家なら、まず謝罪して事態を鎮静化するとか、その失言を逆手にとって世論を味方につけられないか、などと考えます。しかし学者上りや官僚上りのにわか政治家なら、「あれはこういう意味だ」、「法的に問題はない」などと論理の筋を通してがんばり、傷口をかえって広げてしまうのです。この場合も、細かくいえば、頭脳明晰そのものがマイナスなのではなく(頭脳は明晰な方がよい)、それに頼りすぎて失敗するわけです。





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最終更新日  2016.11.26 13:38:38
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