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自然科学はある自然現象を論理的に説明しようとする学問であり、社会科学は社会現象を論理的に説明しようとする学問です。どちらも限定された対象と方法はあるものの、論理的思考(数字・記号を含む言語による思考)は両者のベースに共通しています。
一般に自然科学の方がより理想化された環境で観察実験等するので、専門家による見解の差はさほど大きくなりません。対照的に社会現象は一回きりのことが多く、実験もきかないので、専門家の見解がしばしば分かれがちです。たとえば「なぜ失われた二十年が起こったか」を説明する際、そもそも「失われた二十年」についての定義に誤差があるので、議論の相違はますます増幅されることになります。そこで自分の正当化のために、党派を組んだり、数で勝負したり、ということが生じます。今の文系の欠点はこういう、論理で勝負すべきところで論理以外の要素に訴えるところに現れるようです。 一方、理系(というより論理的思考を何よりも重視しがちな人)の人にも欠点はあって、それは論理で考えてはいけないものにまで論理を適用しがちなことです。以前にも出した例ですが、論理的思考の得意な人が政治家になると、謝罪が必要なときに、自分の論理的正当化をしがちです。非難されると説明する、それでも納得が得られないとさらにくわしく説明する、という悪循環になって、自分ではなぜ自分が支持を失っているのかが分かりません。そこにあるのは「論理的に正しいから、自分は正しい」という思いこみです。時速40キロ制限だからといって前の車との車間距離も考えずに40キロちょうどを守って走ってしまったり、官公庁の出した数字を疑うことなく、それに基づいて経済を語ってしまったりするのも、その一例でしょう。 (このブログは2月25日の更新を最後に一時中断します。ご了承ください) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.04 12:44:00
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