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2017.02.11
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 ある大学教授が、「最近の学生は自分の議論をつくるときに反対意見の検討をしない」という趣旨のことを書いているのを読みました。こういう学生の議論は実は自分で作ったものではありません。自分の気に入った著者を見つけ、その人の主張を自分のことばでちょっといいかえて自分の意見と称しているだけです。


 こういう人は、新聞や教科書を全否定するような学者や評論家の本を読み、世界観をひっくり返されたのがあまりに新鮮で、そのためにすっかりその書き手の信者になってしまうことが多いようです。本の著者がレトリックに長け、都合の悪いことにはわざと触れていないのかもしれないのに、そういうことまでは考えられないようです。実はこういう人はもともと定説を盲信していた人に多く、針が逆に振れただけのことですから、きっかけがあればまた別の主張にとびつきかねません。背後にあるのは、読書量の圧倒的な欠如でしょう。古今東西の古典を読み、どんなことでも唯一絶対の見解はない、ということを骨の髄まで痛感していれば、そう簡単に人の意見に動かされないはずです。


 要は、何を語るにせよ、視野は広くなければならないということです。どんなことでもいいですが、あるテーマについて調べるなら、そのテーマの研究史、現状の問題点、その問題点についての二つか三つの代表的な主張を整理検討し、その上で自分の意見をつくり、反論への答えも用意しながら書いてゆかねばならないはずですが、今の時代はこうしたことがなかなかできにくいようです。もちろんそれは書き手のリテラシーの問題もありますが、すぐに答えを知りたがり、結論から述べたがり、話をきれいにまとめたがる社会の空気のせいでもあるのでしょう。

(このブログは2月25日の更新を最後に一時中断します。ご了承ください)





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最終更新日  2017.02.11 20:14:19
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