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カテゴリ:舞台&役者
『アット・ホーム・アット・ザ・ズー』 2010年6月26日(土)15時 シアター・トラム J列下手
【作】エドワード・オルビー 【演出】千葉哲也 【キャスト】 ≪1幕≫堤真一:ピーター 小泉今日子:アン ≪2幕≫堤真一:ピーター 大森南朋:ジェリー 【ストーリー】 ≪1幕:アット・ホーム≫ 日曜日。セントラルパークに程近いアッパー・イースト・サイドのとある家のリビング。 いつものようにソファで読書するピーターに妻のアンが話しかける「ねぇ、話があるんだけれど」。 いつものように読書に夢中で心ここにあらずのピーターの返事に、妻の話はいつしか過激な方向へ・・・ ≪2幕:アット・ザ・ズー≫ いつものようにセントラルパークへ行き、いつものお気に入りのベンチで読書をするピーター。 そこへイキナリ見知らぬ男が話しかけてくる。 いつもならそ知らぬふりでかかわらないはずが、妻との会話の後だったせいか適当な相槌でその男と会話するピーター。 一方的な男の話にいつのまにか自分のプライベートを話してしまう。 やがて男の話は暴力的なものになっていき・・・。 ------------------------------------------------ えっとーーー。 コレもすでに観てから3ヶ月(^^;;)。 なんかね、スグに感想書けなかったんですよ。 書きたくてもなかなか書く時間が取れないこともあれば、 ナニカが胸にくすぶったまま、まとまらなくて書けないこともありますよね。 この作品がそうでした。 不条理と言えば不条理なんだろうけれど。 その言葉だけで片付けられないものが残っているんですよね。 たとえば3月に観た『象』。 この作品は自分とかけ離れた経験をしたヒトたちの物語。 けれど、じゃあソレは絶対、一生経験することがないかといえば、まぁないと信じてはいますが絶対とはいいきれませんよね(苦笑)。 一方この物語はどうなのか? 1幕。アンのような考えは私にはない。むしろピーター寄りの日常は平穏であることを望む。 けれど・・・本当にそう?絶対? この「絶対」がクセモノ。 普段考えたこともないし、そんな自分も考えたことがなかったけれどこういう夫婦生活を覗き見るような舞台を観ていると、 自分たち夫婦だったら・・・なんて考えてしまうのだ。 こういった会話自体ありえないけれど(基本、のほほんとしてますから)、もしあったとしたら? ・・・いややっぱりそんな会話をする自分たちはありえないし、笑っちゃうよーーー。 けれど、本当にそう? ・・・そう。 ソコがクセモノ。 そう一瞬でも考えさせてしまうリアリティが、この夫婦にはあったように思う。 もちろんアメリカの夫婦だし、生活習慣も考え方も違うけれど、「夫婦」の単位はいっしょよね。 そして「夫婦」だけの会話。 誰も見ていない聞いていない覗いてもいない空間は特別。 誰にも見せない聞かせられない覗かれない空間なのだから。 そしてその空間は思いがけないモノを見せる聞かせる覗かせる。 一見、恵まれた生活をしている。 美しい妻。 そこそこ仕事がデキル夫。 ・・・けれど刺激はない。 刺激を求める妻と、刺激なんて考えもしない夫。 人の幸せの基準の、なんていい加減なものなのか。 満ちたりるとは、いったいどういうことなのか。 受身一方のお芝居が新鮮だった堤ピーター。 自分から仕掛けることなく、一方的にキョン2アンの突然の「話」に翻弄される。 「いいひと」だったよ。 一生懸命アンの期待?に応えようとしてたし・・・ちょっと見当違いだったりもしたけれど。 けれど、攻撃し挑発するアンの態度にほんのり危険な香りがたちのぼったとき、 動揺しつつ、一瞬獣になろうかどうしよう?いややっぱり無理だ、そんなゆらぎを感じたのは気のせいじゃないよね。 ま、アチラに絶対的な自信がなさそうなのがかわゆくて(おい)、思わずハグしてあげたくなっちゃったりもしたけれど。 えへへ。 誰でも、誰にでもなれる要素を知らず持っていると思うのです。 ソレに気がついているかいないか、気がついていても封印しているかいないか、解き放っているか・・・。 堤さんは役者として、演目によってはソレを解き放ち、存分に舌なめずりして味わう姿だったりを魅せてくれて、 実は私はそんな姿の役が好みだったりするのですが、今回は全くの封印。 緩急自在な存在感が大好きなのに、やっぱりソレも封印。 キュートな笑顔やおちゃめな言動が大好きなのにソレも封印・・・じゃなく、コレは控えめテイスト、かな。 今回の舞台にいたのは、そんな一種がんじがらめな堤ピーター。 変化を嫌い、平穏と安定を愛する平凡な堤ピーター。 自信満々、とまではいかないけれど、そこそこ仕事に満足している堤ピーター。 「いつもどおり」 それがあたりまえで、居心地の良い堤ピーター。 妻も満足しているはず・・・だったのに・・・。 思いがけない妻の挑戦(だよねー?アレって)に「いつもどおり」がゆらぐ。 けれど、そんなちょっとした刺激もたまにはいいかも。 そう思ったような気がした堤ピーター。 結果的に、そう思わせたからこそ2幕以降の行動が納得できたし。 にしても、アンがじれったさを感じてしまうそのワケを納得させたのもスゴイよね。 黙ってるだけでもカッコイイのに、声だってステキだし、笑顔もかわいいし。 なのにピーターはそれらがちょっとづつ物足りないの。 そこらのサジ加減が絶妙。 うん、だって微妙にかっこよくなかったもん(笑)。 役者の生理というか、ファンの生理というか、「かっこよさ」を魅せたい魅せられたい欲求を見事スカしてくれました。 スカすってのはちょっと違いますね・・・うまい言葉がみつからなくてごめんなさい(^^;)。 ニュアンスでよろしくです(おい)。 そしてキョン2のアン。 美しかったー。 大人のカップル。平穏な、けれどソコソコの生活レベルを感じさせる佇まい。 最初は美しいけれど平凡に見えたの。 けれど夫の態度に、ちょっとイラっとしながらも仲のよい普通の夫婦。よくある、よく見る夫婦。 それがいつのまにか小悪魔的な挑発をし、危険な雰囲気をまとい、「妻」ではなく「オンナ」の顔になる。 うっわーーーでした。 アンが本当に求めているものを結局理解できなかったピーターを、 じれったくて仕方ないけれど、「愛している」。 その言葉にウソはないけれど・・・オンナは貪欲なの。 もっともっともっと・・・満たされても、その次を求めるイキモノなの。 そんな、肉食動物的な本能(狩をするメスライオンとか)をそのしなやかな肢体から匂わせる美しきオンナにもなれるの。 結局・・・元通りのピーターが求める「普通の妻」に戻るけれど。 投げた変化球は何事もなくキャッチャーのミットに納まったようにみえたけれど、 それを受け止めた方は実は内心では直球以外も投げれるんだ、ということに驚きを十分与えていたんだよね。 その驚きが、実は自分で思っていたよりも日常生活に影響を与えていたからこそ、 2幕での「いつもどおり」とは違うアプローチにノッてしまったのね。 「いつもどおり」とはちょっと違う心境で「いつもどおり」の公園の「いつもどおり」のベンチでの読書。 そして「いつもどおり」なら決してかまわなかったはずの通りすがりの男ジェリーの話をきくことになる。 妙に愛嬌があって人懐こい大森ジェリー。 最初はテキトーにあしらおうとしたピーターが、いつのまにかジェリーのペースにどんどんまきこまれていく。 たぶん「いつもどおり」ならもっとクールに振舞って他人を寄せ付けない、関心がないというべきか?という佇まいなはず。 それがこの日に限って、いやこの日曜日だからこそジェリーの話を聞く気になったと思うし、 話を聞いてもらいたいジェリーは本能的に「コイツだ!」そわかったんだと思う。 そしてとめどなく話し続けるジェリー。 最初はたわいない話が、どんどん暴力的になり狂気を、いや狂喜か?をまとって熱を帯びる。 いつのまにか目には見えない縄でがんじがらめにされて逃げ出すことはもとより、動き出すことさえ、 いや彼の言葉に反論さえ無意味と思えるほどとらわれている。 軽やかにピーターの周りをくるくる回りながら話し続けていたけれど、 もしかしたら蜘蛛のように細くて美しいけれど強靭でねばつく糸でピーターをぐるぐる巻きにしていた? ジェリーはずっと探していたのかしら・・・自分の話を聞いてくれるヒトを。 ジェリーはずっと求めていたのかしら・・・自分を解放してくれるヒトを。 ジェリーは結果的に最高の相手を捕らえ、そして向き合う。 けれど向き合っていたのは自分自身だったような気がする。 向き合うために必要だったのがピーター。 誰でもよかったけれど、そうさせてくれる誰かはなかなかいなかったんだろうな。 誰とも向き合えないし、愛せないジェリー。 女性も一度しか愛せないという。 じゃあ不幸なのか? そうは見えない。 けれど、ジェリーのようなタイプが生きていくにはあまりにもムズカシイこの世界だってのはわかっていたようだ。 だから、バイバイしたかった。 だけど、ひとりじゃできないから探していた。 そしてピーターがいた。 ジェリーはピーターにあえてやっとしあわせになれて逝ったんだね。 そうもっていくまで、言葉の洪水の中でどんどん危険な、そう、本物の危険な香りを撒き散らし、 けれど同時に自分の傷口も広げていたように見えた。 なんでタイトルが「動物園物語」なんだろう? 最初はそう思ったけれど、考えてみたらヒトも動物だもんね。 動物園の帰りってさ、ヒトが溢れかえった街からの帰りだったのかも。 けれどこの動物園は本能を隠すことで成り立っているとすれば、シェリーは居心地悪かったろうね。 ヒトが少ない公園だからこそ、そして「いつもとちがうこと」をちょっとだけ、 そうちょっとだけ求めていたピーターをそれこそ本能で嗅ぎ分けた? ターゲットにされたピーターはえらいこっちゃでしたが、 それこそアンが求めた「一夜のケダモノ」をジェリーの中に見出したのかしら。 ピーターはピーターでそれこそ本能的にね。 ただ、ジェリーは想像以上に危険でもてあます、というよりもてあそばれてしまうピーター。 命の危険を感じとっさにわが身をかばうためにシェリーを刺してしまう。 そりゃそうだよね。 普通の反応だよ。 正当防衛だよ。 けれどジェリーは「ありがとう」という。 本当にうれしそうに。 大森さん。 TVで見るよりもキュートでした。 役がそう魅せたのかもですが、ステキです。 また板の上で見たい役者さんです。 ジェリーの思惑にまんまとノセられハメられ、そして逃げ出したピーター。 そこで舞台は終わる。 その後が気になる。 もう二度と「いつもどおり」には戻れないんだろうな。 そのフリはできても。 けれど、ソレがアンにとっては魅力となるかも・・・そんなことも考えた不埒な私。 なにも解決していない。 ピーターにとっては理不尽この上ない日曜日。 結局なにがいいたかったかよくわかんない私でした。 こんなにも語ったけれど。とほほ。 ただ、堤さんが今までの役柄のなかで一番身近に感じたことだけは確かです。 手が届きそうな距離というか、感情が、ですが。 ・・・私って、もしかしたら心理的には本能はオトコ???(爆) (おまけ) ふと頭に浮かんだタイトル『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ピーター』 ・・・わかるひとだけ笑ってやってください・・・この不届きモノ!って(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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