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楽天人生、鎌田啓之。

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Mar 27, 2011
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 三月十一日の東日本大震災二日後に私は四十を迎えたわけですが、今、渋沢栄一の「渋沢百訓」を読んでいます。読んでいてふと私が社会人になる時に祖父から言われた一言を思い出しました。 

 祖父は社会人になる私にたった一言「がんばりなさい」と言い、それ以上は何も言いませんでした。一体何を頑張ればよいのか分からず、それが何かを探すためにあっという間にこの歳まできた感があります。 

 祖父が四十の頃はおそらく終戦と同時に日本銀行北京領事から帰国、日本銀行大阪支店の融資次長として戦後の復興資金融通に従事していた頃だと推察し、それを考えると私などは如何に時代に甘やかされて生きてきたのかと振り返るばかりです。 

 終戦当時の日銀総裁は渋沢栄一の孫にあたる渋沢敬三であり、彼と祖父は東京帝大法科の先輩後輩の関係で、祖父の大学論文集に渋沢敬三が寄稿していた記憶があります。そのようなこともあり、今「渋沢百訓」を読んでいてこの渋沢栄一という人物に近かった人々がどのような気概で戦後の日本の将来を思い、日本を復興に導こうと懸命に貫いたのかを想像するわけでございます。 

 福島には少し縁もあり、というのも、もう少し祖父の話をしますと、のちに祖父は日本銀行福島支店長として福島に赴任したのですが、その頃福島民報が報じた『鎌田支店長・福島県への忠告・他力本願改めよ』(昭和三十年十一月十二日付朝刊)という記事の一部がウェブ上に掲載されていたのでご紹介します。 

『…本県経済人の大きな欠点はなんといっても“他力本願”だ。自力で困難を打開して行こうという気概が足りない。…なにかあるとすぐ泣き言をいう。県など公の機関に頼ろうとする。そして補助金をもらったりすると、妙に得意がる。…日銀が福島に支店を開いたのは明治32年、それは当時、福島の経済、金融が動いていたからだ。ところがその後、はかばかしくない一つの原因は福島県の経済人が、経済より政治に優位性を持たせたからだ。経済の発展をすぐ政治に結びつけて解決しようとする。…政治と経済は密接不可分だが、経済が政治に左右されず、一本立ちすることが先決だ。そうでないと強力な経済力など生まれないだろう…。』 

 この言葉尻だけを捕らまえると今の福島原発の惨事を思うと適切な表現ではない部分もあるかもしれませんが、その心を読み取るとするならば、今我が日本そのものの置かれた状況を鑑みるに、この窮地から脱するのは結局我々自身であり、それは政治の動向に左右されずとも自力で困難を打開してゆこうという気概の中に生ずる力の結集にあるということだと思います。日本の将来を思い、日本を復興に導くために広く国民へより豊かなサービスを提供するために力を結集し、同時に自らの経済活動を継続してゆくために力を結集することを一人の経済人として考え行動するのだと思います。 

 「沈まぬ太陽」で恩地の息子が「親父には親父の時代の生き方がある」と言った一言が印象的でしたが、時代が変わるにつれ個の主義主張や価値観が平等、かつ公平に広く世間に伝わるようになった中でも、本質的にはどの時代にあっても自分の生活がより豊かになり安心して生活できることを切に望むわけで、それが身近な話であれば自らの金銭的な豊かさであったり、対極的には社会への貢献を通じた精神的な豊かさであったり、またその間のどこかには例えば理想の仕事を通じた自己実現的な豊かさであったりと、この幅広い豊かさの解釈の中で自分の立ち位置をどこに求めるかは人それぞれでよいと思います。

 ただし、なぜその立ち位置を選択したのかということを自分自身腹に落とすことが重要であり、「そういう時代だから」とか、「世の中が一向に変わらないから」など与えられた環境や条件のようなものを理由にその解釈の幅を自ら狭めてはならないのです。一体何のために仕事をしているのか、なぜそこにいるのか、それを行うことにより誰にどういう影響を与えるのかなど大所高所から考え、自分として正当な道「王道」を見出し、その信念に向かって自分としてやれることをやり続けることそれ自体が「がんばり」なのかもしれないと少し思っています。 

 従いまして、戦後の日本復興期を必死に駆け抜けた祖父からの「がんばりなさい」の一言はあまりに重く、どう受け止めてよいやら未だ分かっていないのが実情ですが、ただ言えることは祖父もこの国を元気に、みんなで豊かな国をつくろうというただ一つの思いで自分としてやれることをやったということだったのではないかと思っております。 

 戦後以来最大の惨事に我々は直面し、四十という節目を迎えた私としても、かつて戦後を乗り切った人々が、目に見える形で成し遂げた事もさることながら、いかなる気概と不屈の思いで自分としての王道を見出し、それを貫いていったのかを改めて考え、自分もこの四十代を「斯くあるべし」と心に刻んだわけであります。 






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Last updated  Feb 4, 2014 01:15:06 AM
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