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2007.03.25
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カテゴリ:人類
どうも、長い文になってしまう私の悪いところというか、簡潔な作文力に欠けるのか?余分なことを書きすぎる癖はなかなか直らない。

さて、どうも昨日の日記は余り読んでもらえなかったと想像するのだが、無理も無いだろうから、なるべく簡潔に書く努力をしてみたい。

一般的人間の感覚では、より優れている物、より洗練されている物が美しいという解釈があると考えるが、適者生存という理論が100%正しいとすれば、ヒトに於ける美しい顔はこの地球環境での生存に適していなくてはならないが、ヒトの顔の美醜はそうした自然環境に対して意味を持たないと考えられるので、100%通用する理論ではないことが解る。

人間の顔が美しいか醜いかは、人間の発達した脳の能力により、無意識のうちに人間の顔の平均値を脳が描き出していて、そこで平均値と比較していることによって感じているのではないか?と仮説を立ててみた

この平均値を描き出す機能は人類に共通した能力のはずだから、人類の平均的な顔の概念は似通った物なっているはずである。

絵を書く気持ちで試してもらいたいのだが、少しだけ「目」を大きく描いて見たり、少しだけ「足」を長く描いてみると、より美しく感じられるのは私だけではないと思う。

だが、目を2倍大きく描いたり、足を2倍長くしてみたら如何だろう?そこまで変化が大きいと美しいとは感じられなくなってしまうはずなのだ。

その平均値の存在と、そこからの変化の量と方向にどうやら謎を解く鍵があると考えたのが私の基本的な考え方だ。

そして、ヒトの進化の方向性を意識し、より進化していない類人猿であるがヒトに最も近いチンパンジーの顔の特徴と、平均的ヒトの顔の特徴を、一つ一つの部分について顔の大きさに対する相対的な大小を比較してみるという手法で検証すると。

チンパンジーに対する人間の平均的顔の特徴は、

1.顔の大きさに比して目の大きさが人間の方が大きい。
2.鼻は立体的に人間の方が前方向に高い。
3.額は人間のほうが垂直に近く上方向に長い。
4.口角は左右に人間の方が小さい。
5.顔の長さが上下に人間の方が短い。
6.目と口の距離が顔の横幅に比較して人間の方が短い。
7.鼻と口の間の距離は人間の方が短い。

といったことが解り、その特徴をヒトの平均的な顔の特徴に対し、類人猿の特徴から遠ざかる方向へほんの少しだけ変化させた時と、類人猿の特徴にほんの少しだけ接近させたた時の顔を作ってみることで得られる印象の違いを基に、私は仮説を立ててみたのです。

これらの大きさと長さだけを指定した特徴だけを見ても、ほぼ全ての項目でより類人猿の特徴からの距離を遠くする方向への変化が、私の感覚ではより美しいと感じる方向への変化であることに着目したわけです。(以下参照)

1.目は大きい方が好ましい。
2.鼻はやや高い方が低くなるよりは好ましい。
3.額はやや広い方が狭い方より好ましい。
4.口角は左右に小さい方が好ましい。(僅かであれば殆ど差を感じない)
5.顔の長さは短いほうが長い方よりは好ましい。
6.目と口の距離が短い方が長い方よりは好ましい。
7.鼻と口の間の距離は短い方が長い方より好ましい。


以上の検証から、ヒトは本能的に、より古い人類の特徴から、より新しい人類の特徴の方向への変化の延長軸方向への変化を好むかもしれないと考えたのです。(好む=進化の方向に合致している)

その変化が周囲の生活環境により適合しているかといえば、関連は殆ど無く、此処では自然環境を対象にする適者生存の論理はほぼ当てはまらず、単に進化の不可逆性ということを間接的に証明しているように感じられるのだ。

そうして考えると、生物が元々持っていた自己にとって有益か?不利益か?という取捨選択の能力が、人間の様に脳が発達してきたことで、対環境に於いて有利かどうかということを超え、どちらが子孫を残しやすいかという、種の志向する特徴を突いた部分でより有利な方を選ぼうとする様になったと考えられるのです。

地球生物の食物連鎖の頂点に立った人類では、地球という自然環境への適応という意味ではそれ以上進化する必要がなくなったと考えられ、人類どうしの社会の中で、より子孫を多く残せる手法についての近道として、視覚的により進化しているように見える形態に対し本能が働いてしまうという部分を利用する戦略が重要になって来て、少し進んだ遺伝的形質に見える視覚的な要件を「美しい」という感覚に纏め上げて、自分をそこに近づける努力もするし、本能的に子孫をよりその点で有利な美しい形態にしたい為、伴侶には美しい外観を求めるという結果になっていると考えられるわけです。

人は地球の自然環境に今以上に適応する必要がなくなってしまっている代わりに、社会環境という人間社会の中で、より優位になる為、より好まれる外観に近づくことがより適応するということだと言えるのだろう。

頂点に達した知的生物というのは、自らの進化の方向を、賢さと美しさに求めるのかもしれない。





何度も同じ事を3日間にわたって書いたので、クドイと思われるかもしれませんが・・・・。

是非ご意見お待ちしています。

出来れば違った仮説などをお持ちでしたらお書き添えください。












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最終更新日  2008.03.12 22:50:27
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