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カテゴリ:文化
一昨年にも行った笠間の「陶炎祭」に今年も行ってきた。
家内のミラ・ジーノに家内と家内の友人を乗せて行ってきた。 朝7:10に家を出て、途中、家内の友人の家に立ち寄って、三郷から外環道~常磐道~北関東道と乗り継いで友部で降りて、一般道を少し走れば笠間の陶炎祭の会場に付く。 今年は全工程の殆どを高速道路でカバーしたので9:30ごろに着いた。 すこぶるお天気が良く・・・・(良すぎて暑かった。)絶好の行楽日和であるが、房総の潮干狩りには目もくれず・・・・笑!!茨城県へと出かけたわけです・・・。(千葉の房総方面はすでに大渋滞であった・・・・。) 入り口で3人別行動することにして、11:30に入り口で待ち合わせることにした。 私は若干、最近運動不足がたたって、血圧がかなり上がっていて、どうも調子が出ないと言うか・・・不安感があって日陰で休みながら回ってみた。 言うべきことも特に無いので、撮って来た画像を少し見てください。 益子で暑い日差しの中を歩いていたら、クラクラと体長不良になってしまい、喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲んで一時間ちかく休んでいた・・・・。したがって益子では画像は殆ど撮れなかった。 帰りは家内の友人を家まで送り届けて、市川市の北方(キタカタ)にある友人のやっているお店「鳥ひで」に寄って焼き鳥でも頂こうと電話したが・・・定休日でした・・・残念!! 今年の画像から・・・私はターコイズブルーのような、青色の焼き物や白系統に興味が向いているかも知れないと感じた・・・・・赤や黒、褐色にはあまり反応していないからだ。 追記 先ほど別に言うべきことも無いと書いてしまったが・・・実はそうでもなかった。 で・・・チョット書いてみます。 人の集まるブースと殆ど人が集まらないブースが出来ますが・・・・。 奥に座っている作家の方は「どんな思い」で居るのか・・・・そんなことがずっと気になっていました。 芸術を目指す人は自分の感性に従って、人受けを狙わないだろうが、本当に人受けしなくて、閑散とした自分のブースを見ていたらどんな風に感じるのだろう???? 例えば私がそのブースの前に立ち10秒ほど見回して去ってゆく時、「趣味が合わなかっただけ」「私の芸術が理解できないだけ」とか・・・・そう思うことにしたりして、平静で居られるだろうか?本当に優れたものは誰に対しても感動を与える物だと思うが・・・・もし、そう思えば10秒で去られてしまうことは、自分にとって許しがたい屈辱ではないか・・・・・・・・? 芸術って自分が感じたことを形にして表現することだから、自分の作品を誰にも見せず自分だけで楽しむと言うことは有り得無いと言って間違いないだろう・・・・・。 つまり「人に何がしか評価されると言うことを必要とする」と言ってしまって良いと思うわけだ。 生きている間でも死後であっても、必ず誰かによって何らかの評価を受けることが必須なのだ。 ただ、こうした沢山の作家が一同に会して、展示即売会をやる時、全然売れないと、やはりへこむかな~??自信が少しは揺らぐだろうか??でも、どうすれば人受けして売れるか?とは考えたくは無いだろうから悩みは増すよね? 「素人にはわからないのさ」と自己満足に閉じこもるのか?「いつかわかってくれる人が現れる」と思い続けるのか?「解ってもらえなくても仕方ない」・・・と思うことにするのか??「自分の才能の無さ」「努力の不足」を受け止めることになるのか? その心中を思うと・・・・・・苦しむのかな~・・・・等と想像してしまうが、もし何も感じないと言うなら、そんな作家の物は欲しくない・・・とも思う・・・・。 悩みぬいた上に出てきた物の方が輝きを増して来るように思えるし、飽きないように思えるよね~・・・・・。 でもそういう意味では・・・勇気ある人々を見た気がするな~・・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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