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カテゴリ:人類
かつての旧日本軍の行った、慰安所容認という方法が一定の効果を上げていたことは紛れも無い事実と言う事が出来ると思うのだが、このことを声高に主張すると、女性を非人道的に利用することは許すことは出来ない・・・と言った多くのフェミニストやフェミニズム国家であるアメリカなどから大きな反対が起きるはずだ。(橋下発言が国際的に、特に米国で批判的なことが、日本でも反感が大きくなった原因の一つにあるが、EU圏ではさほど話題に上らないのはそうした売春にかかる法制の違いも原因にあると思われる。)
多くの先進ヨーロッパ諸国で合法と認められている売春業も米国ではネバダ州を除いて非合法とされている。 そして我が日本では、売春禁止法『何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない。』と言う法律があるのだが、運用と判例を見れば、純粋な個人売春ではそれを容認している。そして主な取り締まり対象は、売春を助長する行為と女性の性的役務の隷属被害や、暴力団等や親による搾取行為に向けられており、売春勧誘(ポン引き)、売春周旋、売春契約、売春をさせる業(俗にいう「管理売春」が違法行為として取り締まられている。(ソースはWikipedia) 主にキリスト教圏の先進国間の流れでは、売春行為そのものは「女性の基本的権利」と言っても良いのではないかと思えるほどであり、特に生活困窮者への権利として広く認められていると言えるのである。 ここで私は考えようと思うのだが、もし私に10歳の娘がいたと仮定して、「将来は売春でお金儲けしをて学費を稼ぎ、親に経済的な負担をなるべくかけずに独立した人生を送り、さらに自分の老後に備えたい」などと作文に書かれることを想像してみると、やはり自分のこれまで受けてきた教育や倫理観からはとても容認しがたいものと言える。 あらゆる先入観や既成概念を廃して考え直せば、個人の自由の範囲であり、基本的な人権の行使と言えるし、そう行動する本人が自己の精神に恥じることが無いのであれば本人の意思にゆだねられる問題と認識するほか無い・・・・などと実際に言えるのだろうか?。 道徳的教育の文化は普遍的なものではないと私は断言するが、親として、確かに我が子を説得できる理論を持ち得るのか?娘はいない私とはいえ、一度考えてみる必要性を感じたのです。 自分の娘には絶対に勧められないが、生活に困っている女性の権利として、それを禁じることは誤りであると言う論理は通用するのだろうか?という疑問があるのです。 本能的欲求と人間のモラル-その3に続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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