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カテゴリ:私の歴史
実は我が家の19歳になるオス猫のトムは、今年の3月私が過労の為に入院しているときに亡くなりました・・・・。(いつか書かねばと思っていましたが、少し前に仲間とやっているBBSにトムはどうしているかという言葉があり、それに返事を書いたので、ここにも書くことにしました。)
それよりだいぶ前から、かなり弱っていたのですが、家内が私の入院費減額申請用の書類を取りに市役所へ行っているときに、家を出て帰ってこなかったのです。 私は、病院から一時帰宅許可を貰って、数時間家の周りを探し回ったのですが見つかりませんでした。かなり弱っていた上での失踪と言うことなので、もう生きていないという予感があり、早く見つけてやりたかったのですが・・・・。 家内は子供のころから猫を飼う家に育ち、オス猫の最期は家出で終わると言うことを経験的に知っていたので、もう生きていないし、自分は死ぬ気で出て行ったのだと言いました・・・。 家内の言うことは当たっていました・・・。4日目に家内は市役所の動物の遺骸処理係りに電話して、家の周辺からの通報で死んだ猫を処理していないか?と聞いた所、今まさに、その近くに処理に行っている車が有ると言われ、我が家から500Mほど離れたその場所に駆けつけたところ、タッチの差でその車と思われる車が去ってゆくところだったそうで、車を必死に走って追いかけていたところ、反対側を歩いていた人が、市役所の処理車の運転手に誰かが追いかけていると知らせてくれて、車が止まってくれたんだそうです。 そして処理されて運ばれていた猫の遺骸は我が家の猫だったのです・・・・・。 優しい顔で、まだ生きているように目を見開いたまま死んでいました。 しかし、トムの目はもうだいぶ前から殆ど見えないようで、聴覚もほぼ失われていて、大きな声で呼びかけても反応がなくなって半年ほどは経っていました。テーブルの足にぶつかりながら歩くような状態でしたから、死への家出を決行する少し前は、危ないことを知ってか、家の前の道路にさえ殆ど出ることがありませんでした。 そんな、自分が弱っていることを知っている猫が、よく晴れた冬の昼間に、誰もいない我が家から突然姿を消してしまったのです。 トムの行動は用心深くなっていたし、嗅覚はまだあったのでちょっと家を出て、目が見えない為に道に迷って帰れなくなったと言うことはほぼあり得ないことだと思われました。 どう考えてみても、殆ど目も見えず、音も聞こえない状態の年老いたオス猫が「自分の死期を悟って家出をした」としか考えられないのです・・・・・どんな思いに突き動かされてそんな行動をとるのでしょう・・・・家を背にして歩み始めたトムは何を考えていたのか?何を思っていたのだろう、私達の家に貰われてきて毎晩遅くまで遊んで楽しかった頃を思い出していたのだろうか?・・・・・。 本当に不思議な雄猫の生態ですが、そういうことを何度か経験している家内は、アッパレだと褒めていました・・・・・。 死期は今年我が家の猫トムに訪れたけれど、私もあと何年かすれば、いや、早ければ数ヶ月でこの世を去ることになるかもしれない・・・・遅かれ早かれ死ぬことは決定しているわけで、ただただ時間の問題と言えるわけです。 つまり死は生きるものの宿命と言える訳です・・・・。 自分が・・・家族や友人、また多くの知人いるこの世界から去って失われることは、冷静に考えてもやはり寂しく残念なことです。 その寂しさも別れ難い思いも、すべては自分が生きていて意識が有るということの証なのであります。 私は10代の半ばに、己の死という、逃れが難い恐怖からノイローゼとなり、心を半ば病んだ状態で過ごしました・・・・。 今思えば青白い文学少年にありがちな、病であったのだと解りますが、そのときの自身の葛藤と生きることの意味の探求は無駄ではなかったと言い切れます。 何故なら、その病での苦しい経験は私の精神を強く鍛えてくれただけでなく、己の無知さ加減を知ることで謙虚になることが出来たし、そのことは視野を限りなく広げることになり、寛容と柔軟さも自分に与えてくれたからなのです。 己の死への恐れがきっかけとなった病的な期間でしたが、結果的に私はそれ以降、より深く自己と世界を見つめることになったのです。 そして私は神にも仏にも頼らず、生き物は等しく死に、その生きると云うことに普遍的意義など何からも与えられていないことを悟るに至りました。 つまり、宇宙の起源を考えれば、我々生物の誕生は何者かに依って行われ得るずはないと言う観点から、生きようとすることそれ自体が生命の条件であり、生きることの普遍的な意義を求めても、、所詮、循環論法を展開するだけとなってしまう・・・、言い換えれば生きるように出来た存在が生物と云うことなのだと理解し、生きようとする自分自身を無条件に肯定したのです・・・・。 そこから・・・、生きることの意味や価値と云うものは、それぞれの個人が何らかの意義を自分で見出し、自らに与え、或いは課すことで初めて生まれ得るものに他ならないと云うことに気が付いたのです。 私が10代の半ばに出したその結論は、今も私を、全ての教義や属性から開放し、この自分を何の思想的集団にも置かず、この無限の宇宙の中で完全に自由な精神世界に生きさせてくれています。 私にとって、いずれ失われる自分の命を、どう使うかは自分の裁量のみにて決定するのであり、何に意義を見出し、何を尊んで生きているかが、私の人としての到達位置を表すと思うのです。 何をためらう必用があるだろうか?・・・・、明日私の死がやってくるかもしれないというのに・・・・・・。(「メメント・モリ」に影響を受けている訳ではなく、自分自身が感じ、思っていることです。) トムの潔い死に様には感動すら覚えました。出来れば私もあのように潔く逝きたいものだと真剣に思う。 私はトムという猫に死に方を学んだ気がするのです・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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