昭和ノスタルジーだけど・・・
小学生高学年から中学生の頃、ちょうど1965年前後かな、大和駅周辺には三つの映画館があった。小さい頃は、さらに二つの映画館があったのだけれど、閉館していた。閉館したのは記憶に全くない東宝系の映画館と、大映の映画館。大映の映画館は幼稚園の時は顔パスで入れた。もぎり嬢が近所のおばさんだったから。ここで子供向け映画を観た記憶があるけれど、小学生の時にはもう閉館してしまった。さて三つの映画館は、日活館(常に石原裕次郎、小林旭、吉永小百合、宍戸錠、浜田光夫の主役似顔絵看板が飾られていた)東映、つばめ座(洋画封切館)の三館。平成の今はどれも無いけれど、映画の黄金期には五館もあったのだな、昭和34年には4万人だった人口は、昭和45年で10万人になる。1965年の昭和40年では75000人前後だったのかね。で、中学生の頃、任侠映画ってのが東映のドル箱路線だった。鶴田浩二と高倉健の二大俳優が稼ぎ頭の主役で。あ、藤純子も女賭博師も主役だったな。(因みに「網走番外地」が1965年だ)高倉健さんが言ってたけど、この頃営業でキャバレー周りとかして歌を歌ったりするよ、ご祝儀が一晩で500万円とか集まったらしい。だから鶴田浩二は結構稼いだらしいけれど、健さんは営業が嫌いであんまり行かなかったらしい。だからもっと行っておけば良かったとインタビューで語ってたな。閑話休題で、何が懐かしいかと言うと、明るい時間に映画館に入場して、任侠映画、ヤクザ映画を観終わった後、薄暗い街角を歩くとき、みんな肩で風切って歩いてる姿が懐かしいと思って(^o^);でもね、そんな時期、一番夢中なって観ていた映画は、洋画封切館のつばめ座で観たジョン・スタージェス監督の『大脱走」だった。1964年頃に観たと思う。7回ほど。あの映画はスイス国境付近の晴れ渡る空が綺麗だったな。そこでスティーブ・マックイーンがバイクでジャンプするシーンが印象的だけど、他のキャストも良かったよね。いんやあ、懐かしい(^o^); にほんブログ村親父日記 ブログランキングへ