ソウルトレイン
高校生の頃、当然フォークやロック音楽が流行っていた訳だけれど、不良少年と不良少女の音楽はソウルだった。なにしろ、ダンスが目当てだから、ソウルミュージックとステップが大事で、ファッションも、コンプラスーツとかラウンドカラーにピンホールのワイシャツに極めて、黒人的ファッションが不良少年の目印でもあった。アメリカの黒人って、ファッションを極める人が多くて、一方白人は、Tシャツにジーパンや短パンみたいな、ファッションにお構いなしの人が多かったな。でも家を訪ねると、黒人宅は汚く散らかっていて、白人宅は綺麗な部屋ってのが割と平均だった。だから、白人は、黒人は服や靴、車は綺麗でも、家は汚い、白人は、ファッションが汚いって、言い合ってたな(^o^;)アメリカ人が比較的多く住んでいたのは、近くに進駐軍の基地が二つもあったからだ。厚木ベースは海軍基地、座間キャンプは陸軍基地。ちょっと離れて東京に横田基地は空軍。で、鶴間にあった伝説のディスコは「シルバースワン」。ここには米軍基地所属の黒人がわんさか来てた。わしは高校生だったから、この伝説のディスコには入らなかった。そもそも、ダンスなんて好きじゃないしね(^o^;)だいいちに入り口が、なんだか競輪場の小窓みたいなとこに入場料支払って、顔も観れない穴場のおばちゃんみたいな(^o^);中は全然観れない。そんなお店だった。でも、駅周辺のダンパ(ダンスパーティー)が出来る会場をセットして、ダンパのチケット売って、稼ぐアルバイトはしたな。当然買うのは不良少年少女の諸君で、わしは主催者側で売って監督するだけ。まあ、当然不良グループ同士の喧嘩とかはあるわけで、そこはそれ、地元のヤクザの下のチンピラクラスの先輩に出張って貰って、幾許かのみかじめ料で対応してもらう。いざこざは持ち家に任せて稼ぐアルバイトって訳で(^o^);その中、儲けがある程度嵩んでくると、地元のヤクザの組の倅とかが、脅してくる。金寄越せって。それで中途で辞めてしまったけれどね、その頃見てると、凄く細かく地域別ダンスのステップのはやりがあったりして、不良少年は拘っていたなあ。南林間ステップとか横須賀ステップとか、微妙な違いのステップを自慢し合う。見てるとここだけが面白かった。雇った素人DJは同じ曲ばかりかけてた。まあ、スティービー・ワンダーの「迷信」(1972年)がよくかかってた。スーパーステーションは流行ったよねえ・・・。で、ここで記憶に重なるのはテレビの『ソウルトレイン』だなあ。ソウルトレインは1975年から日本で放送されたらしいけれど、先にディスコが流行ったんだねえ。まあ、それ以前にゴーゴー喫茶見たいのもあって、ダンスするとこの下地はあったんだろうけれども、ダンスに興味のない人には、無縁だったしね。それにそれにそういうダンスみたいなもんは、大人から不良扱いされる時代だったし(^o^);ソウルトレインが日本でもテレビで流行った時代、街の不良達は、みんなその時間に家に帰った。ソウルトレインをみるために!あれで踊りの勉強してたんだな。なんつったってその時代は、ビデオデッキが普及する10年も前だから、録画なんて観れない!オンエアータイムしか、テレビは観れなかったのだよ(^o^);あら、長くなっちゃった!続きはまたいつか!?ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);にほんブログ村親父日記ランキング