ダンスミュージック
小学生の頃、日本のテレビでは、GSブームというものがあった。もの凄いGSブームは僅か5年ほどで終わったけれど、最盛期には芸能雑誌(「明星」とか「平凡」てのがあった)で、グループサウンズの特集ばかりだった。元々芸能プロモーターが仕掛ける芸能界、所謂業界発祥のブームだった訳だけれども、大変な流行りだった。その頃は、正に加山雄三のエレキの若大将の映画(1965年12月公開)みたいに、エレキブームと共に、モンキーダンスとか、ゴーゴーダンスなんてのが、ダンパやダンスホールのダンスだった。もうツイストの時代は終わった。ビートルズが日本に来日したのは1966年6月。その頃から少しづづフォークブームがやってくる。そして中学生の頃には、アメリカンフォークと関西フォークがブレイクした。その頃アメリカでは「ソウル・トレイン」というテレビ番組がブレイクすると、ソウルダンスが有名人と共に派手に!もう、モータウンかな、ブラック・ミュージックとソウル・ダンスが流行る。日本でもスティービー・ワンダーの「迷信」 (Superstition) リリース 1972年10月、に合わせて不良少年が綺麗にステップを踏む世界がやってくる。正にディスコ到来の頃だな。面白いのは、決まった形のステップがあって、ローカルルールじゃないけれど、特徴を変えていた。踊っていて、ちょっと違うステップがあると、それはどこのステップだ?なんてね。ディスコの流行りと「ソウル・トレイン」のテレビの流行は、不良少年少女の踊りの勉強の時間になり、その時間不良少年少女は、みんな家に居てテレビに夢中になってたそうだ。もう、ダンパとかダンスホールという言葉は誰も使わなくなってた。まあ、パー券という言葉が頻繁に使われた。そして不良少年は、高校生の癖にコンポラスーツをオーダーメイドで作って着ていた。中でもタマムシ(玉虫生地)コンテポラリースーツが人気だったようだ。くるみの一つボタンでヘチマ襟でストレートなトップズボン。当然髪型はリーゼントで革靴はスリッポン。正に古き良き時代の黒人のスーツって感じで、ドゥーワップやブラック・ミュージックの衣装てな感じだ。そんなスーツでディスコでダンスしてた訳です。それは、マドンナ、シンディー・ローパー、オリビア・ニュートン・ジョンのダンス・ミュージックが流行る10年程前のことでしたな(^o^);ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);親父日記ランキング