小学校1年の頃、学校帰りに肥溜めに落ちて人糞だらけの足をひきづって帰る同級生を何回か見たものだ。周りの友達に冷やかされるからすぐ分かる。
自宅から小学校までの間には、畑田んぼが結構あったので、コンクリを打った肥溜めが散在していたものだ。
我が家の前の市道も、砂利道だった。アスファルトに舗装されたのは小学校の高学年以降だったろうと思う。イギリスの舗装率が100%だった頃、日本はまだまだ舗装率が50%にもなっていなかったんじゃないかな。なにしろ2012年の統計で、80%を超えたくらいだから。
平成7年頃、滋賀県の栗東町の隣の守山市に単身赴任して、栗東の事務所に通勤してたけど、この頃は農道さえ、立派なアスファルトで舗装されていた。(農政省の予算は多かったんだろうね、ろくに車も通らない農道が立派だったから(^o^);)
まあ、道路は種類があるから、施工主体も自治体別だったりで予算も別々だから、舗装の早い遅いもあるんだけど、肥溜めがまだ存在してた頃は、舗装自体が少なかったのである。
今はどこもアスファルトとコンクリート街中は、落ち葉が邪魔なゴミと化しているけれど、昔は、落ち葉はゴミじゃなかったよなあ、腐葉土の飼料みたいなもんだった。今じゃあ落ち葉が道路の排水溝を塞いで、冠水した道路のせいで、あわや床上浸水しそう!なんて事になる。
それは落ち葉の落ちる11月あたりに、大雨なんか降ったらだけど。
閑話休題
で、肥溜めっていつ頃から消えていったんだろうね。
北朝鮮では今でも肥溜めが重要な堆肥らしいけど、ほら、脱北して韓国に亡命した将校が腹の中に回虫や寄生虫が凄くて、韓国の医者が、こんな大きな回虫は見たことがない!とかニュースになってた。
肥溜めの堆肥には熟成発酵が必要で、新しい人糞は使えないから、時間をかけて肥溜めするわけで、北朝鮮ではそれをしないから、寄生虫の宝庫となったらしい。
発酵(発酵熱は70度にもなるらしい)をしっかりしたとしても、死滅しない寄生虫もいるらしく、安価で衛生的な化学肥料に取って代わられた訳だ。
さてそれは昭和の時代、大体1970頃には田畑も減り同時に肥溜めも姿を消したのが、わしの周りだったように思う。
実は朝、肥溜めに落ちる夢を見てびっくりして起きたのであった(^o^);
ふぉーっふぉっふぉっふぉ(^o^;)
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