『プロテストソング(Protest Song)とは、政治的抗議のメッセージを含む歌(楽曲)の総称である。(Wikipediaより引用)』
アメリカのフォークソングの原初は、そこいらじゅうで歌われていた民謡みたいなものだった。だから歌詞も節も微妙に違う曲が散在していて、黒人や農民、教育のない貧民層が歌い継いでいた。アメリカ中を旅しながら曲を集めて完成型にしてヒットさせた歌手達がいる。
ウディ・ガスリーはその最初かもしれない。公民権運動に強い関心を持ち、「我が祖国」 (1944年)を作った。
そして 「勝利を我等に」 のピート・シーガー。彼は1936年に共産党員になったけど、1949年に離党した。
そして彼らの意思を継ぐように、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーは、「我が祖国」や「勝利を我らに」を唄った。
そんなフォークソングの影響を受けた日本のフォークソングの源流は、1950年代に起こった日本のうたごえ運動と、アメリカの商業的なヒットソングがやってきたことに始まる。
関東では大学生を中心としたカレッジフォーク。関西ではプロテストソングに近い関西フォークがあった。
その関西フォーク元祖の高石ともやさんが、ちょっと前の8月17日に82歳で亡くなった。ソロでステージに上がった時にはよくアメリカのプロテストソングを日本語で唄っていたものだから、頭の片隅から湧き出してきて、今聞こうと思っても、その曲が入ったカセットテープは処分してしまったので聞けないのが残念である。半世紀前のカセットテープの録音なんて、もう音が酷いんじゃないかと思って、捨ててしまったのだと思う。
「想い出の赤いヤッケ」や「受験生ブルース」「死んだ女の子」「小さな箱」とか。
あれ?みんなYouTubeで聴けるじゃないか!!
ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);
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