131371 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Happy Happy Happy Life in Korea ! !

Happy Happy Happy Life in Korea ! !

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
June 7, 2004
XML
テーマ:韓国!(17198)
カテゴリ:カテゴリ未分類
韓国の有名な歴史作家に崔仁鎬(チェイノ)さんて方がいま

す。

この人の代表作に『失われた王国』というのがあります。

結構長編なので、どなたかにいただいたのですが読みきれな

いうちになくしてしまいました。

要は韓国の3国時代に新羅によって滅ぼされた(西暦660

年)百済が日本において、復興されていく内容です。

このテーマは日韓関係史の中で、はっきりとまだ解き明かさ

れていない日本人のルーツに関する内容です。

この内容を全部この日記ではとても書くことはできません。

メルマガにして連載で書くか、最初から小説として書くかし

なければ、とても書ききれません。

実は私が現在少しづつ書き始めている小説『恩讐の彼方に

(仮名)』のEPISODE1の内容です。

今日はちょっとこの内容に触れたいと思います。

以前天皇陛下がご自身の祖先の出身が今の韓国にあることを

発表されて話題になりましたが、天皇家だけではなく、日本

の貴族社会、そこから派生して、現在の多くの日本人は朝鮮

半島を故郷にしているということです。

そして、今の日本文化の原点もやはり、朝鮮半島にあると言

うことです。

もちろん正確には歴史学者たちが検証しなくてはならないこ

とですが、いろいろの事情で、明らかにされていない内容も

あります。

これは私個人の日記ですから、私の考えを勝手に書いていい

訳ですから、今まで韓国に住みながら、いろいろな人から話

を聞いた内容を少し紹介してみたいと思います。

これを読んで意見していただくのは結構ですが、あまり熱く

ならないで下さい。

私は右翼ではありませんが、こよなく日本を愛しているし、

第二の故郷である韓国を愛してしまったので、日韓関係史に

興味を持ち、見聞きしたことを書いてみるだけです。

今日一日では長くなりすぎますので、3日くらい、反響によ

っては一週間くらいの内容で書いてみます。

まず第一日目の今日は、私が日韓関係史に興味を持つきっか

けになった話をしてみたいと思います。

ある韓国人から聞いた話です。

韓国には三国時代がありました。

まあ言ってみれば戦国時代ですか?

そして、その3つの国は高句麗(こうくり)、新羅(しら

ぎ)、百済(くだら)です。

え?何ですって?ひらがなで書かなくても読めるって?

あまり馬鹿にしないでくださいって?

もちろん、きちんと読めるのは分かっております。

実はこの読み方に注目していただきたくて、わざわざひらが

なで書いたのです。

もう一度、上の3国の読み方を見て下さい。

何か感じませんか?

そうです。

百済(くだら)だけおかしいんです。

高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)は読み方が自然なの

に、百済(くだら)だけは、変です。

どうやっても『くだら』とは読めないでしょう?

『ヒャクサイ』になっちゃうでしょう?

そうです。

素直な方は感じるはずです。

じゃ、『くだら』ってどういう意味?

百済王朝の首都であった扶余(プヨ)に『落下岩』という観

光の名所があります。

百済王朝最後の王、義慈(ウィジャ)王の時、新羅が攻めて

来て、日本の沖縄のように多くの宮廷の女性たちが、あの落

下岩から飛び降り自殺をしました。

それで有名な岩です。

ここです。

↓↓↓↓↓

落下岩

その下は錦江(クンガン)という川が流れており、その川は

郡山(グンサン)の海(東シナ海)まで続いています。

逃げ延びた人たちや落下岩から落ちて死なずに生き延びた人

たちの多くはその錦江から海に出て、日本へ逃げ延びて行っ

たというのです。

これが百済の最期です。

実はその錦江に船に乗る船着場があるんです。

韓国語で船着場を『ナルト』と言います。

この船着場(ナルト)の名前が何と『クダリナルト』と言い

ます。

ここです。

↓↓↓↓↓

クダリナルト

日本に逃げ延びた人たちは新羅から追っ手がいるかもしれな

いので、自分たちを百済(ペッチェ)人とは言えませんでし

た。

それであの忘れられない百済での最後の地、『クダリナル

ト』が忘れられず、『ああ!クダリナルト!!』

『クダリ』『クダリ』『クダリ』『クダラ』になったという

話でした。

どこまで本当かは分かりませんが、事実日本の伝統音楽は百

済の宮中音楽と非常に似てると言われています。

少なくともおそらく数百人、数千人(ちょっと多いか?)い

たであろう宮廷の女性たちの何人かは、そうして日本に行

き、百済文化を日本に伝えたのではないでしょうか?

そして、忘れられない『ウリナラ(我が国)』、『ウリ奈

良』、『奈良』を作ったのではないでしょうか?。

今日は軽い感じで書きましたが、明日からは本格的に書いて

いきたいと思います。

明日の予告をしますと、源平合戦は、実は百済人の生き残り

と新羅人との戦いであったと言う内容です。

お楽しみに。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  June 7, 2004 09:41:22 PM
コメント(10) | コメントを書く


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

hero6500

hero6500

Favorite Blog

81歳落語家×AI、まさ… New! 三河の住人さん

楽園の島(海南島)… 海の宝物さん

Comments

 http://buycialisky.com/@ Re:オールイン(06/04) discount cialiscialis clinic beijingbuy…
 http://buycialisky.com/@ Re:先生2(03/29) prohormones and cialisgenuine cialis no…
 http://buycialisky.com/@ Re:生ゴミ餃子(06/10) que es mas efectivo cialis o viagracial…
 http://cialisees.com/@ Re:オールイン(06/04) recreational use of cialis softwlagreen…
 http://cialisvbuy.com/@ Re:先生2(03/29) buy cialis soft online pharmacy onlinec…

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.
X