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カテゴリ:病状
どうして僕は呼吸器を付けたのか?
我々が避けて通れないこの命題。誰もが悩み抜いて冷徹に結論を出していく。 しかし僕の場合かなり情緒的だった。 -「父親を全うさせて欲しい」こういう発想が危険をはらむ。 介護負担はいろんな形でのしかかるし、そもそもTLSになれば何かを全うどころの話ではない。 僕の父は38歳で死んだ。僕が当時9つ。くも膜下出血だった。 発作を起こし四日間一度も目を覚ますことなく旅立ってしまった。 子供は順応力が高いからそれ程寂しくはないのだが、その喪失の大きさに気づいていないだけ、と自らが人の親になってよく分かったのである。 今上の子が8つで自分が父と死別した歳と近い。今ここで2代連続同じ思いを味あわせることはとても容認できない。 それは自分の人生の否定と同じだ。そう思うと付けないという選択肢は消えた。もちろんかっこいい理由だけではない。何よりも死ぬのが怖かったし、呼吸困難の恐ろしさには勝てなかった。それらも偽らざるところだ。 そして妻の理解と協力があってこそ装着が可能となり、生きさせてもらえることを忘れてはならない。僕は子供たちのただ一人の父親としてゆっくりと成長を見守っていく。緩やかに過ぎていく時間とともに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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