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カテゴリ:家族
世間はクリスマス一色。言わずと知れたキリストの誕生日。
何の因果かこの日と同じ日に生まれためでたい男がいる。 僕である。42歳になった。 独身時代、この日に良いことがあると他人の2倍楽しいのだが、逆に何もないと悲惨。 一人残業して、会社の裏のうどん屋で肉うどんをすすっている僕はとても小さく見えたろう。 そして家族ができると、それは毎年やってくることが約束された幸福のイベントとなった。 発症した去年はメキシコからの緊急帰国直後。 それでも東京湾に面した小さなホテルで家族皆で食事した。ささやかでも楽しかった。 僕は車椅子を使い始めた頃だった。 そして今、たった一年でこの進行の速さ、凄まじさはどうだ? 四肢は動かず、しゃべれず、食えず、呼吸できない。 しかも、今夜は一人ぼっちで病院のベットの上だ。 状況的にはうどん屋の夜より遥かに後退してしまったみたいだ。 せめて自宅で迎えたかったが、それさえ叶わぬ事態となってしまった。 何一つ自分の意のままにならなくなってしまった。 僕は知っている。何をどうしたって、もう去年の状態には戻れないことを。 一方で、僕には待っていてくれる家族がいることを知っている。 もう前には戻れなくても、幸せの形はひとつではないはずだ。 それがどんなものかはまだイメージできないけれど、それを探し出す、いや自らの手で幸せを再構築することを闘病の一部としよう。 今日は子供たちも見舞いに来てくれた。誕生日のプレゼント、マフラーと手袋を持って。 そうだね、退院したらこれをつけてどんどん外出しよう。 少し元気を取り戻せそうだ、ありがとう、みんな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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