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カテゴリ:家族
三月最後の日の夜8時30分、我が家の愛犬が静かに世を去った。今月初め12歳の誕生日を迎えたばかりだった。数日前から嘔吐を繰り返し、やがて何も食べなくなり、検査入院先から、腹膜炎を起こしており時間の問題との連絡を受け急いで帰宅させたが虫の息だった。ベッドまで連れてきてもらい僕の萎えた手をその体に重ねた。おかえり。でももう昔のように抱きしめてやれない。そしてそれから一時間もたたないうちに息を引き取った。家族全員に看取られ、撫でられて。紛れも無い大切な家族の一員だ。そして君との思い出は我が家の歴史そのものだ。
98年に妻と結婚しすぐにパキスタンへ赴任。治安が悪いためあまり外出できず手持ち無沙汰な妻のために現地ブリーダーから買い求めた。99年5月5日のことだ。今でも会った時のことを憶えている。あの上目遣いでよたよたと近づいてきた。僕を買ってくれとせがむように。確か日本円で二万円くらいで言い値で即決した。買った直後は吐いたり、お尻から寄生虫が出てきたりと大変だったがやがて病気一つしない健康犬になった。名前は僕が幼いころ飼ってた犬の名をそのまま拝借した。 2001年に帰国。ところが社宅はペット不可で住むところを探すのに苦労した。当時はまだペット可の物件は少なくようやっと江戸川のほとりの小さなアパートに滑り込んだ。しかし、外出もままならなかったパキスタンと違い、広々とした河川敷を君と走るのはどれだけ爽快だったか。やがてそこで長女が生まれ、新しい家族を君は戸惑いながら迎えたね。どんなにいじられてもじっと耐えてくれたね。 そして数年して家を買った。思い切って一戸建てにしたのは犬を気兼ねなく飼いたかったというのも理由の一つだ。そして長男が生まれ我が家の形が整った。本当にこのころは幸せだった。 2007年にメキシコへ赴任。翌年家族も到着。もちろん君も一緒。生涯で三カ国住んだ犬も珍しかろう。街には街路樹のある道や公園がたくさんあってよく一緒に散歩したね。ハカランダの花がきれいだった。雨季には突然スコールに遭って二人で木の下で雨宿りしたよね。ママが傘を持って迎えに来てくれるのを待ちながら。 そして2009年5月メキシコで豚インフル発生。社命により家族は一時帰国。結局一ヶ月にわたって現地で二人きりで暮らすことになったね。僕は毎日気になって昼休みは家に帰り一人留守番してる君を見に行った。仕事は定時で切り上げて待ち焦がれる君の元へ帰宅し、まだ陽が高いうちに急いで散歩に行ったものだ。 その後再びみんなで暮らせるようになったが、まもなく僕はALSを発症し家族は楽しかった暮らしを中断し帰国した。君も一ヶ月を超える検疫を耐え抜き無事合流してくれた。成田の検疫所へ家族みんなで迎えに行った日のことを今も憶えている。やっと家族全員そろったんだ。僕はまだ杖をついて歩いていたころだ。 そしてその後変化していく僕をどんな思いで見ていたのだろう。まるで気管切開をし、呼吸器をつけるのを見届けるかのように去っていった。一人で僕らの元にやってきて、一人で去っていった。数え切れないたくさんの思い出を残して。どうか僕ら家族の平坦ならざる道行きを見守って欲しい。 今日から四月。抜けるような青空と陽光。まるで陽気で優しかった君の魂のようだ。外に出るときはいつも君と並んで歩いているよ。あの頃のように。 本当にありがとう。またな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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