発症の頃(2)
(つづき)一日の検査が終了。友人のK医師より「もっと詳しい検査が必要だから1週間程度入院できるか?」と告げられる。この際だからイチも二もなくOK。生まれて初めての入院でちょっと浮ついていた。超痛い針筋電図をはじめ一連の検査を消化していく。でもそれぞれの検査がどんな感じだったのか全然コメントがない。Kに「一回中間報告してよ」とお願い。すると「わかった。結果だけど...僕から聞きたいか?」という、明らかに結果がやばそうなコメント。「なんで?」「いや、別に・・・・・」。明らかに挙動が変!その夜のこと、小部屋でKと向き合う。これまでの検査のサマリーと見解の説明。そのあと、「今のところもっとも可能性が高い病名はこれ.....」と紙に書き出した。読むとやたら画数の多い漢字が。要はALS、何度かネットで見たことあった。「ヤバイやんけ、これ」「・・・助けてやれなくてごめん・・・」。こら、こんな早くごめんは無いやろ、何もせんとあきらめんなよー。まだ全部終わってないし決まったわけではないやろーが!「いや、ほぼ間違いない...」「........」そして原因不明で治療方法がないこと、徐々に体が動かなくなり車椅子→寝たきりという経過をたどること、物が飲み込めなくなる→胃ろう、呼吸困難→延命するかどうかの判断、呼吸器選択しなければ死、というお決まりの説明。そして周りの介護力がとても必要な病気であることも・・・・・。意外と冷静な自分。涙も出ない。なんとなくヤバイという予感はあったけど、まぁ最悪更に入院加療くらいが最悪の心積もりだった。それがイキナリ死刑宣告???明らかにギャップに頭がついていってない。子供はまだ7つと3つだぜ....,トホホ。