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テーマ:徒然日記(23489)
カテゴリ:健康
*近況*
5月19日、一家で相棒実家へ。相棒は仕事のため翌日帰宅。 5月21日、娘のみ連れて飛行機にて関西の実家へ。 ~31日まで睡眠時間を削り埃まみれの部屋で荷物整理、書類手続きなどして、実家を引き払う。 その間実家で預かってもらっていた息子は高熱でひきつけを起こし、一晩入院する騒ぎ。 6月1日、娘と共に再び空路で相棒実家へ。 6月6日、今度は娘が39度の発熱で耳鼻科へ。2日間熱は下がらないが元気に暴れまくる。私も喉が腫れ上がって痛い。 6月8日、母の転居手続きと入居施設へ面会に行く為、相棒両親、息子と娘と車で往復4時間かけて神奈川県へ。 6月10日、迎えに来てくれた相棒と共に一家で帰宅。 6月11日、息子が日に二度も吐く。 6月12日、娘の集団予防接種。出かける直前に息子にゲロを浴びせられる。気を取り直して出かけるも、発熱した日が最近なので接種するのは来週にするように言われ、徒労に終わる。 6月14日、昼前から発熱。39度まで上がり動けなくなる。風邪気味の息子と共に耳鼻科へかかるも息子は強固に診療拒否。受付も手際悪くて3時間かかる。2度と行くか。 6月15日、熱は下がったので普通に過ごす。夜9時半、子供らを風呂に入れ終わった後強烈な下痢。寝かしつけた後11時過ぎより発熱し、震えがとまらない。筋肉がけいれんし続ける。死ぬかと思った。 零時過ぎて震えが収まり、動けるようになって体温を測ったら40度超えていた。 6月16日、一旦38度まで熱は下がる。近所の病院で診察を受ける。待ち時間の間に39度まで上がる。 私ははしかにかかったことがない。小さい頃予防接種を受けただけだ。 高熱が続く上、発疹が出ていたので気になり、はしかかどうか尋ねると「違う」との答え。解熱剤を処方してもらって帰宅。 だるくて動けず、解熱剤を飲んで寝る。 夜相棒に起こされるが、だるくてすぐに動けない。 熱を測ると再び40度。私の顔を見た相棒が「これはおかしい!」と昼間かかった病院の系列である、隣のK市の総合病院の救急受付へ連れて行ってくれる。 9時半到着。娘と息子の面倒は旦那に任せる。 発疹があるので隔離され、内科医と呼吸内科医の診察を受けるがはしかかどうか見分ける典型的症状が現れていないらしく、時間がかかる。 体が辛くてどうにもならないから来ているのに、もううんざりだと思っていたら、たまたま通りすがりの帰宅前の感染症科の医師がつかまったとのことで、私服のまま診察してくれた。 さすがプロは違う、一目見て 感染症科「ああ、これは麻疹(はしか)ですね」 呼吸内科「でも、コプリック班が出てないようですが」 感染症科「この時期は出ないこともありますね」 四十路過ぎてはしか・・・とほほほ。 問題はさらにそこから。 3歳で去年ワクチン接種をすませている息子、子供の頃はしかにかかっている相棒は良いとして、10ヶ月の娘である。 はしかとは知らないので勿論授乳し続けてました。 小さな子供は体力が無いので、罹患して死亡したり後遺症が残ったりする可能性がある、なるべくなら隔離が望ましい、とのこと。 さらに今からでもワクチン接種させるか(本来は1歳過ぎてからの接種)などと相談していたそうでまたまた待たされる。 結局娘は100%感染しているが、現在症状が出ていないので既に罹患していたか、抗体が出来ているかだろうから、今更ワクチン接種させて変な反応が出てもいけない、というわけでそのまま帰宅し、相棒実家で預かってもらうことに話は決まった。 帰宅できたのは結局一日あけて午前2時半。(病院まで片道1時間かかる) 6月17日は子供の世話、家事、買い物、相棒が全てやってくれた。とんだ父の日である。 そして本日6月18日、朝から相棒両親が来てくれて、息子と娘を連れて帰ってくれた。今度の日曜日までお別れである。 ぼんやりした頭で荷造りをしたが忘れ物だらけのような気がする。子供らをベランダから見送った(私は法定伝染病の患者なので外出してはいかんのだ)ら涙がとまらなくなった。 熱は下がったがまだ体に力が入らないし、頭は動かない。 でもじっと寝ていると寂しくて自分がバカに思えて逆に死にたくなるので、ここ1ヶ月の報告をかねて日記をアップしてみました。 ああほんと、大人のはしかは恐ろしいです・・・筋肉が溶けてしまったみたいに体がダメダメです。歩くだけでつらいです。あれほど抗体検査とワクチン接種を相棒両親にすすめられていたのに・・・しょんぼり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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