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カテゴリ:国内旅行
6月に石巻にいるゴルフ友達に会いに行く話は出ているのだけど、友人は建築関係の仕事をしていて今向こうは建築ラッシュ。建築確認の申請が間に合わないくらい忙しいそう。それと石巻にある2つのホテルは6月もいっぱいで、お互いのスケジュールがなかなか合わず。
それがたまたまNHKで今、仙台市博物館で特別展開催中ということで6日で終わりと知り、急きょ仙台に行くことに決定。 米国のプライス氏が、東北震災を見て、個人所有の日本がを美術館に公開することで東北の人を励ましたいと思い今回の企画につながったそう。 仙台の後は9月頃まで北上して展示は続きます。 翌日の新幹線のチケットを取ろうとしたら、電車がパックになっているお得なツアーは全部2名からの申し込みで入れず。 「えきねっと」から予約したら、行きはグリーン車のみありげっちゅう♪ 帰りは普通車が余裕で取れますたわ。 7時12分の やまびこ123号。 チケットを発券したり朝食を買っていたら、時間ギリギリ。あぶにゃい(≧▽≦;) 朝からカツサンドも何かなと思たけど、8時には既におなかすいてきた...。 まず、伊藤若仲を初めとした日本画家の特別展、これはボリュームもすごいし素晴らしい作品ばかり。見応えあった~! 2時間近くかかって鑑賞終了。常設展は見る時間なし。1時半にタクシーを頼んであったけど、時間があまりない(汗 駅ビルのエスパルにある「浜や」さんの前には待ち列が。しかし食事はパスできない。 タクシー会社に連絡して10分時間をずらしてもらい、海鮮丼をさくっといただき、結果約束の半にはちゃんと着いてたわ。 どんな早食いっちゅう。 これはネットで見つけた「語り部タクシー」で、被災地を案内できるテストに合格したドライバーが案内してくださいます。 2時間コースの設定だけど、私は3時間でとリクエスト。なんせ市場に寄りたかったもので。 料金は3時間で15960円だったかと思う。 何人で乗っても1台での料金計算。 被災地へのボランティアも前から探していたけど、石巻では今ほとんどボランティアは募集していなくて、「石巻復興を考える会」という地元の人たちの掲示板には、「後片付けなどはほぼ終わり、今必要なのは大工仕事ができるとか、設計ができるとか、何かものを作れる技術のある人が必要です。 スクリューの使い方もわからない人は来ないでください。教えている暇もないし、時間ができたから来たと急に言われても困る。特に、自分探しのために来るのは迷惑だからやめてください。」というようなことが書かれている。 こちらから現地入りできるようになった頃は、知人の地主さんがボランティアで行ったら、到着してすぐ棺桶づくり。作っても作っても間に合わないと言っていた。 石巻の友達にも、私と会って飲みに来るだけでもいいんじゃないって言ってくれたし、それで良いのかもしれない。本当はもっと発展したところを見てほしいけど、でも何も進んでないところを見てもらうのもいいかもしれないと言っていた。 「あんたたち、テレビの四角い枠の中の平らなところしか見てないだろうけど、ここ来てみ、どこまでもそれが続いてんのさ。」って。 復興予算は各市町村に配布されているそうだけど、それが使い道で揉めてたりおかしなことに使われていてやる気のある住民は不満に思っているとも。「とにかくみんな元気でやる気あっから。」とのこと。まあ本当に精神的や肉体的に病になってしまった方々は表に出てこないから元気のない姿は町を歩いていても本当のところはわからないだけなのだろうけど。 関東のテレビには毎日被災地について何らかのニュースや姿を見るけれど、あれは元気な人しか映ってない。 タクシーの運転手さんは、丁寧に真摯に説明してくださって、小学校に上がって助かった方の体験談の冊子をくれました。 1人でも現状を知り、地元に帰ってそれを周りに伝えることも復興の手伝いになるとのことです。 運転手さんの周りの人の壮絶な体験談も伺いましたが、それをここでアップすると個人が特定されてしまうと思うので、とりあえず見たものを中心にアップします。 こういった地元の方の案内によるツアーであれば、地元の方のプライバシーに配慮した見学ができると思います。 ネットで調べたところ、被災地ではない場所を、観光客とわかるような部外者が興味を持って家の周りをうろうろして不快に思う方が いたり、また被災地であってもご迷惑をかける可能性は十分にあるので、要注意です。 初めは仮設住宅へ。さっと敷地を通り降りることはない。 中野小学校 → 屋上に600人が避難して助かった。すごく小さい屋上でここに600人!?って驚く。 内陸4キロ以上のところまで津波が来た。これはなかなか地元の人にも想像できなかったことでしょう。 建物の残骸は処分して、付近にスクラップや砂山に分別されて並んでいる。 更地が続いているが、ところどころ基礎や壊れた家が残っているところは、ご本人が亡くなったり行方不明なので、市が個人の財産を勝手に壊す権利もないのでそのままになっているとのこと。 荒浜小学校 現在は封鎖で、子供は他の学校に通っている。ここは、避難場所が学校の校庭になっていたけど、ある先生がそれはおかしいと主張して、学校の3階以上に地域の人ごとに分かれて非難する案を通し、実際それは実行されみんな助かったとのこと。 もぬけの殻の学校には、「ありがとう! 夢、希望、未来」と書かれた横断幕が張られている。 付近一帯はほぼ更地だが、800世帯2400人住民いたそう。 震災時 現在。左に同じ倉庫が見える。 名取市閖上(ゆりあげ)のあたりを走っていた時、この辺りは2100世帯5000人の住民が元は住んでいたと聞いた。 今はほぼ平らでちらほら家が残っているが、住めない。残っている建物は一見すると住んでいるのかなと思うのだけど、近づくと窓は壊れていて、風がカーテンを揺らしている。 特に一階部分は波で破壊されて外壁のサイディングなどもキズがあり人はいない。 ここは人が住んでいるのかなと思って見ても、近づいて家のダメージが見えてくると、「本当に町がなくなってしまったんだ。」と感じる。 2階の屋根の下にうっすら茶色い汚れの線があって、そこまで水が来ていたそう。 市の許可がないとリフォームしてはいけないし、立替もしてはいけない。 非居住区域に指定されている地域があり、そこは強制的に立ち退き。そして行政の判断が難しいところでは、まだ非居住区域にするのかどうか判断がされていないところがある。 いずれ戻って住み続けたい人は非居住区域には反対だし、もうこの土地を見限って新しい地に行くしかないと思っている人は非居住区域に指定してもらわないと、土地をあきらめて 引っ越しても誰もその土地を買う人もいないから、ただ残していくしかない。非居住区域に指定されると市がいくばくかで土地を買い取ってくれる。 こういう点で住民同士がもめていることが2年たっても続いているそう。 前と同じくらいお給料のもらえる仕事があればいいのだけど、そうでない場合は給付金を受け取れる期間はその方が良い人もいる。というかそうでないと破産する可能性がある人がいる。 住宅ローンの残っている人は今は特別な処置で支払いを止めてもらっているが、もし働き出して自活しだすとローンの返済が始まる。 そうすると、給料によってはたちまち生活ができなくなるから。それでは自活を始めることができないですね。 かといっていつまで給付金をもらえるのかわからないけど、例えば働きざかりの人がそういった理由で5年も6年も働かないでいた場合、その後社会に復活なんてできるんだろうかという疑問がわく。 携帯電話代にしても、2年だか支払停止の処置があるそうだけど、その後は結局未払の分も含めて請求が来るそう。そんなに貯めておいて払うっていうのが一番きついやり方なのにね。 更地にぽつんとたまに立体的に三角状にヒモが張ってあって、そのヒモには四角い黄色い旗がたくさん並んでいます。それの意味するところは、その土地の所有者がまだそこに住みたい場合には、 そのような目印を出して意思表示するルールなのだそうです。 よく晴れた日で、浜辺から向こうに石巻の金華山が見えた。 これは私が聞いて理解したことを書いているので、間違いや誤解があればただちに訂正します。タクシーの運転手さんが変な説明をしたということで非難されると困るので、何かあれば私までご連絡ください。 日和山 もとは漁師が海を確認するために作られた。津波はこれを超えた。上に木が一本あるが、流されてきた人がちょうどこの木につかまって助かった人いたそう。 最後に市場に行ってもらった。運転手さんも知らない場所で、それもそのはず、新興住宅の地域に、仮設という形でできた新しい場所だから。 閖上(ゆりあげ)のさいかい市場は再開という言葉にかけてつけられた名前。お店は10件ちょっとあったかしら。海産物をたくさん買って、自分の所、兄の家族、弟家族に宅配で送った。 帰りは駅でおみやげを買って、空で持っていったキャリー・バッグに詰め、「伊達の牛タン」弁当を注文。これは出来たての暖かいお弁当を渡してくれるから、新幹線でいただくのにちょうどいいのよね。って、また新幹線のチケット発券するの忘れてて、いろいろやってたら新幹線に乗れたの1分前だったわ。あぶにゃい ちゅうわけで、仙台って近いし美味しいものあるし、皆さんもお時間あるときに是非に~☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.05 19:08:41
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