|
カテゴリ:どーでもいい話
義母の名前は「愛子」です。
ギボアイコ。嘘です。 義母は、傾聴ボランティアというのをやっております。 施設に入っている老人、一人暮らしの話し相手のいない老人のお話を 「傾聴」ですから、基本は聴いてあげるって事なのでしょう。 そのうちの何人かの話を聴きました。 義母の話を大人しく聴くボクも傾聴ボランティアですが。 昔、●●省にいて、偉かったじいさんは、今でも昔話しかしません。 そして今でもずっと偉そうにしています。 仕事しかしなかった男は、結構こうなってしまう傾向が 強いようです。つまらんね。アホやね。 テレビに出演して、バリバリ仕事をしていたおばあさんは 今は身体の自由が効かなくなり、その頃のようには思うように出来ず 「どうしてこうなってまで生きているんだろう」と泣く毎日。 つらいね。でもあきらめられんのよね。 その中で一番、ボクが衝撃だったのは、 数年前、脳梗塞で倒れて、なんとか助かったおばあさんの話で そのおばあさんの連れ合いは、おばあさんがそれで入院している間に 一年もたたないうちに、亡くなったそうです。 それを聴いて、そのおばあさんは 「わたしが台所仕事は全部やっていたから、きっとごはんも作れずに 腹を空かして死んでいったんだろう。申し訳ない」といったそうです。 でも・・・そのおばあさんはその時 「悲しい気持ち」が全くわかなかったそうなのです。 脳梗塞で倒れてから「悲しい」だけじゃなく、 「嬉しい」も「楽しい」も「苦しい」も・・・。 その日から、そのおばあさんは「喜怒哀楽」のない日々が始まったのです。 さっきちょっと触れたように、思考はあるようなのです。 そのへんの話もちゃんと他人に理解出来るように話せるようですし 連れ合いに「悪かった」と思うみたいですし。 「喜怒哀楽」がない日ってどういうものなのでしょう。 心がずっと平安だと・・・いい方に考えればそうなのかもしれないけど。 一番、人間らしい部分がある日、突然消え去ってしまうって。 いろんな事を考えさせられてしまいました。 け!しょーもな。急に裏ごんぞうじゃ。 ま。本音を言えば、しらんばあさんがどーなろうと 知ったこっちゃないんだけど そのばあさん、せめてくたばる直前くらいは 一筋の涙くらい流させてやりてえもんだ。 「嬉しい」でも「悔しい」でも「悲しい」でも「楽しい」でも 何でもええしのぉ。 せっかく生きた、何年かしらんが、最後くらい ちょっと戻してやってもええんちゃうか?神さんよ! うん。私もそう思うよ。 追伸:今日からコメントを受け付けない事にしました。 読んでくれればそれでいいです。返事書くのも面倒だし(笑) ま。好きにさせて下さい。 拓郎さん風にいうと「ほっといてくれ」ってとこですな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.19 17:21:19
コメント(0) | コメントを書く |