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野球部のK君で思い出した事が有ります。
我が母校の野球部は一度も甲子園に出場した事がありません。 結構強くて惜しかった事は何度か有り、ベスト8くらいは常連って感じのチームです。 ボクが高校一年の時、S先輩というもの凄いスラッガーが4番を打っていまして 「今年こそは・・・」という感じで、県大会を順調に勝ち進んでいました。 そしてついに決勝戦!相手は同じ地区のI高校。 そのI高校には練習試合で一度も負けた事がなく 下馬評では我が母校の有利が伝えられていました。 ところが相手のI高校のピッチャーはS先輩を敬遠という作戦で 勝負をさけたのです。 そして我が母校は後一歩で涙を飲みました。 のちに「松井」が甲子園で連続敬遠され、相手チームに 「帰れコール」が起こったのは有名な話ですが・・・ 当時、地元でも「あれはあまり感心したもんじゃねぇ」とか 「高校生らしくねぇなぁー、卑怯だっぺよ」って感じで 批判的な人も多かったのですが・・・ 甲子園にいくとI高校はあれよあれよという間に勝ち進んで 全試合完封で決勝戦まで進んでしまいました。 その数年前には太田投手ひきいる三沢高校が再試合の末、決勝戦で破れ 今度こそ、優勝旗の白河の関越えを!(この場合は勿来の関越えが妥当でしょう) と一気に東北じゅうが、いや相手のチームの県以外は I高校を声援したのではないでしょうか? I高校のピッチャーTさんは「小さな大投手」と称えられ 敗れはしたものの多くの人の記憶に残りました。 「ドカベン」にもあきらかにT投手をモデルにした人物が出てきますが・・・(笑) 地元でも送り出す時とは全く違う対応でヒーローとして彼らを迎えたものです。 我が母校の野球部はその秋、早くも新体制で 次の年めざして合宿をしていました。 といっても体育館に泊まり込んでいるだけですが・・・。 決してお金持ちの高校ではないので、食事の準備も自分たちでしていたようです。 朝と夜は何を食べていたのか、知らないのですが お昼は教室で自分たちで作った弁当を食べていたものです。 「ドカベン」にも「日の丸弁当」は出て来たような気がしますが 彼らの弁当は毎回ごはんに瓶詰めのなめたけをかけただけのものでした。 K君におかずの玉子焼きを分けてやりながら聞いてみました。 「こんな弁当じゃ持たないねえ?」 K君は笑いながらいいました。 「ああ。でもこのナメタケ、先輩の差し入れだから。結構うまいんだよ」 その先輩はどんだけのナメタケの瓶詰めを送って来たのでしょうか? 当時、野球部員は60名ほど。1週間の合宿。 おそらく二人で1瓶は一回の弁当で食べていたはず。 ということは一日30瓶×7日間・・・210本・・・。 きっとナメタケの瓶詰めの会社にでも勤めていたんでしょうな。 車内販売という事で、1瓶100円としても21000円。 100g300円の牛肉を7キロの方が嬉しかったのではないでしょうか? ボクはナメタケの瓶詰めとアイスクリームのコーンを見ると 野球部のK君を思い出すのです。 卒業後は一度も会っていませんが・・・。 K君・アイスクリーム・ナメタケ・舐めたけ? たまたま出来たオチです。決して最初から狙って くどくどと2日間に渡って書いたものではありませんから(笑) 硬式のボールがカキーンカキーンと鳴る音が聴こえる夕暮れに。 グッドラック。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.09.06 21:14:07
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