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カテゴリ:なぜに私は京都に来たの?
朝晩めっきり涼しくなってきましたが
皆様いかがお過ごしですか? 「おらが村の夏休み」の結果も出ますと いよいよ秋だなと感じてしまいます。 清少納言は「秋は夕暮れ」といっておりますが ボクは「秋は断然夜」ですな。 「朝」とか「夕暮れ」というのは もともとどの季節でも好きなのですが 「秋の夜」ってとても静かな感じがするのです。 実際には「虫の声」などで「余分」な音が入るのですが その「余分」が静けさを余計に感じさせると思うのです。 秋の夜はしみじみ飲める酒がいいです。 日本酒のヌル燗がいいでしょうか? あてはモーさんの作った出し巻きがいいな。 モーさんの本名は忘れてしまいました。 なぜモーさんって呼ばれていたのかも忘れてしまいました。 「もえ」とかいう名前だったのでしょうか? いや。そんなカワイイ名前の場合は「もえちゃん」でしょう。 決して「もえ」が「もーさん」にはならないでしょう。 モーさん、きっと単純に牛のような女だった? それが正解かもしれません。 モーさんは美人ではなかったのです。 モーさんは小料理屋の娘でした。 京都の裏寺という通りにある小さなお店で お母さんと二人で店をやっていて カウンターに5~6人座ればいっぱいになるような店でした。 京都の裏寺通りとは新京極のひと筋東の細い通りで 河原町通りと新京極の間にある道です。 修学旅行生がしょっちゅう喧嘩していたイメージがあるのですが 今はどうなっているのか、わかりません。 短大を卒業したばかりのボクにそんな小料理屋は似合いませんが 新京極でのアルバイトの帰りにバイト仲間と数回寄った記憶があります。 モーさんは同じ短大の同級生だったのです。 カウンターごしにモーさんが出し巻きを作るのを見ているのが好きでした。 玉子を割ってその殻で「濃い目のだし」を一杯と「水」を一杯入れて軽くときます。 殻が計量カップなのですな。 四角い玉子焼き器も一人暮らしのボクは見た事がなかったです。 みんなで固唾を飲んで見守るモーさんの手元。 薄く流し込んで、かるくかき混ぜて、手早く向こう側に寄せて固めて 出来たスペースにまた流し込んで、かき混ぜて、ほどよくなったら 今度は手元に寄せて固めて・・・これを数回繰り返します。 どんどん玉子の塊は大きくなり、最後に何回かひっくり返して出来上がり! まな板に乗せて、包丁を入れて、長い皿に乗せてくれて 真っ赤な紅ショウガを添えて・・・「はい。お待ち」 とても柔らかくフックラしていて、アツアツで美味しかったです。 その後、自分で何回も挑戦したのですが、 モーさんの出し巻きを越えるものは作れた事がないです。 昔味わった印象深い美味というものはとても厄介なもので ボクのような素人がいう美味には、味だけじゃなく、その時の雰囲気とか 一緒に食べていた人だとか、自分のその日の気分とか・・・ 時間が立てばさらに記憶の熟成がされているのかもしれません。 だからどこまでいってもモーさんの出し巻きにはかなわないのではないでしょうか? モーさんの店はそれから数年後に立ち退きにあって無くなる事になりました。 最後にお店にいった時、モーさんは出し巻きに「うなぎ」を入れてくれました。 「ごんぞうちゃん。最後やし特別や」 関西でいう「うな玉」です。 このうな玉の美味しさといったら、そんな情景を含めているものですから ボクの中ではもう越えるものがないランクにまでいってしまっているのです。 秋の夜は、想い出の味を肴にしみじみ飲むのもいいものですね。 「うなぎ」が出たあたりから下ネタを期待していたあなた。 今夜はそんな気分ではないので(笑)すいません。 ではまたそのうち。 グッドラック。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.09.14 20:45:13
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