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カテゴリ:どーでもいい話
私の手元にある日記にはほとんどが 朝昼晩に食べたものしか書かれていない。 レコーディングダイエットをやっているつもりはないのだが 結果が伴わないそれになっている。 今日は何時にどこどこに行ったら 偶然誰々にあった的なことは一切書かれていない。 ただそんな内容を後日読み直して その日のことを思い出すように 食べたものの羅列だけでその日のことを 十分思い出せる事に気がついた。 特に非日常なメニューの時はそれが顕著である。 朝から宮崎辛麺を食べた日のことは 寒い日だったのに大汗かいて食べたことまで思い出す。 その反対に朝によく食べる 玄米フレークと豆乳とヨーグルトのセットとなると 情景がほとんど思い出せない。 日常の繰り返しの中、たまにある非日常で 思い出は形成されているんだなと思う。 ただ今日のことは忘れないでおこうと心に決めた場合は ほぼ日常な出来事でもずっと覚えていたりする。 5歳くらいの時、近所のみんなで家の中で集合写真を撮った。 私は誰かに寄りかかって、天井の裸電球を見ながら 「この光景を一生覚えておこう」と思った。 何の理由もなくただそう思った。 果たして今でもはっきり覚えている。 とっくに忘れていいことなのに。 そうかと思えば誰かと車を走らせながら 「この場所を通るたびに私のこと、思い出すよ」 と何気なく呪いのようなことを言った気がする。 その人は何回かその場所は通ったであろうが 私のことを思い出したであろうか? あるいは気味が悪くて、絶対にその道は避けるようになっていたら それはそれで大変申し訳なく思う。 コロナ禍が非日常から日常に変わりつつある今日この頃 そんな事を思い出している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.06 11:10:39
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