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カテゴリ:日常
今年の春頃から入退院を繰り返していた祖母が亡くなりました。 医者も身内もそう長くないとは思っていたもののまだ数日は大丈夫だろうと思っていたら、あっという間に眠るようになくなったそうです。 毎日見舞いに入っていたうちの母も臨終の時はいなかったそうです。 祖母が繰り返し望んでいた季節のいい時期に苦しまずに行きたいという希望は叶えられました。(第一希望は11月3日だそうですが) なくなった日から暑いくらいの晴天続きで葬儀が終わった日の夜に雨でした。 久しぶりの身内の死でしたが、臨終に立ち会えなかった私はお棺の中の祖母をみても実感がわきません。 この前で病気一つせずにいましたし、入院をするようになっても顔色もよく、点滴等もしていませんでしたから。 祖父の時もそうでしたが、実感のわかないまま月日が過ぎていないことになれてしまうのかなと思いました。 最近の火葬場は機械化されたのか、運ぶのもリフトのような機械で、しーんとした大理石作りの火葬場に機械音が響きなんだか悲しかったです。 火力も強くなったのか、1時間ちょっとで祖母は跡形もなくなっていて、人間のあっけなさというか、はかなさのようなものを感じました。 誰もに訪れることだし、95歳の祖母は大往生なんでしょうが、やっぱり悲しかったです。 闘病生活が短く、あまり苦しまなかったようなので、せめてもの救いです。 後始末でいろいろもましそうですが、 祖母には20年ぶりの祖父と仲良く休んでもらいたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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