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2009年02月10日
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カテゴリ:趣味
昨日の日記、『猫の話:前編』 『猫の話:後編』のあと、いくつかメッセージを頂きました。
重複する部分もあり、個々の方にお返事をさせていただくよりは 昨日の日記で伝わらなかった方々の為にもこの場を借りてお返事させていただく事にしました。
普段の日記のややこしい口調だと伝わらない部分があると思い、普段書き込みにお返事させてもらう時のように書きたいと思います。

まず最初に。
麻呂やルリがこの世を去ったのは、かなり前の事になります。初めて日記を読んでくださった方やまだお付き合いが始まったばかりの方の中には最近起こった事として伝わった部分があったようで、励ましの言葉をかけてくださいました。ルリがこの世を去ったのは10年ちょっと前、麻呂は更に前になります。今でも最期の様子は鮮明に思い出すことが出来、当時は辛かったこの出来事も気持ちの中で整理できるようになったと思います。ぽかりと心の中に空いていた大きな2つの穴も今は随分小さくなり、消えることはないだろうし消えて欲しくもなく、ルリの死後しばらくは二度と自分よりも早く死んでしまう動物は飼わないと思っていたものの ダンナ作造と一緒に覗いたペットショップで一目ぼれした犬の本家が今一緒に暮らしています。特にもも造に可愛がられて幸せに暮らしています。10歳の現在、持病と歯のトラブルはありますが元気に長生きして欲しいと思います。温かい言葉をかけてくださった方々、当時の哀しみは体の中に取り込んで消化し今は体の一部になっています。ありがとうございました。
友人知人の中には最近このような悲しい出来事があった人達がおり、昨日の日記を読んで改めて哀しさにおそわれたりしていたらご免なさい。

病気の飼い犬や飼い猫に対する安楽死についてもメッセージを頂きました。
安楽死を選んだ方々からは、権造の書き方が安楽死に対して否定的過ぎるという意見とご自分の選んだ方法を後悔しているという意見を頂きました。
昨日の日記の後編の所に書き込みしたのですが、麻呂とルリの時の両方とも権造が安楽死という道を選ばなかったのは、彼らの命を自らの決断で絶つという選択が『怖くて』出来なかったからです。最後の最後まで苦しむ姿を見ることが無かった事も大きく影響しています。
全く個人の意見としては、例えばもう治る見込みが無く苦しみや痛みを薬で抑えることも叶わず、毎日毎日のた打ち回る苦しみがずっと長く続くとしたら、安楽死という選択はその飼い犬や飼い猫、そして見守る家族にとってもまっとうなものであると思います。
人の命でも『尊厳死』や『死の選択』が報道で取り上げられていますね。言葉の通じない動物の場合、飼い主が決断しないといけない訳です。こういう問題に関して家族単位で考える場合、何が『正しい』『間違っている』という2択の考え方というのは当てはまらないと思います。
大事に大事に家族の一員として一緒に暮らし育っていき、病の為に辛い選択をしなければならなかった方々の思いというのは、怖いと言って考える事を拒否した権造の辛さなど比べ物にならない程のものだと思います。
言葉が足らずに、安楽死を一切否認しているという印象を与えてしまったのならその点は謝りたいと思います。
そして自分の選択を後悔している方々へ。
安楽死を選んだとしても選ばなかったとしても大切な家族が去った後に残るのは『もっとこうしてあげれば良かった。』『あの時こうしていればこうならなかった。』という思いです。権造も全く同じ思いをしました。麻呂が去り際に残したため息というのはまるで魂を吐き出していたかのような長い切ないものでした。ルリの最期はとても苦しそうでした。もっとご飯を無理にでもあげていたら体力は違っていたのかもしれない、今から救急に行けば何か治療をしてもらえるかもしれない、施す手が無いと言われたらもしかしたら安楽死を選ぶ気持ちになるのかもしれないし、その方がこの子にとっても安らかに死ねるのかもしれない。居なくなってしまった直後というのは、この思いが繰り返し繰り返し頭の中に戻ってきて、こうしていれば、ああしていれば、何かが違っていたのかもしれないと自分を責めてばかりいました。
でも、全て結果論です。その時その時思う事は様々でも決断に至った答と言うのは権造が一生懸命思い考えた事の積み重ねの上にあり、その時点で他の決断はやっぱり出来なかったと思います。もし同じ時点に戻れたとして他の道を選んだとしてもやはり同じように悔やむでしょう。『死』の周りに居た者はみんな同じです。
自分を責めるよりも、哀しみを忘れようと無理に努力するのではなく体の一部にしてしまってやがてそれも含めた思い出になってゆく。そういう過程が『看取る』『送りだす』という事なのだと思います。


『ペットが人間と暮らしていくのは幸せなことなのか』『権造にとって動物を飼うというのはどういう事なのか』という質問も頂きました。
最初の質問に関してはその動物の暮らす環境によって異なってくると思うので、一概に言えないと思います。自分の事に当てはめてみると、麻呂もルリも幸せだったと思います。勝手な思い込みかもしえませんが、一緒に暮らしていると些細な仕草に現れています。擦り寄ってきたり喉をゴロゴロいわせたり膝の上で眠ったり。
野良猫を引き取って育てていたある友人は時々猫が網戸ごしに外をじっと見ているのを見て、この子は外に戻りたいんだろうか幸せなんだろうかと考えたそうです。動物がヒトの家へ入る場合、失うものもある代わりに得るものもある。ご飯があり、寝るところがあり、近くに温かい体温を感じることが出来、愛情もある。幸せだと思います。
今の本家にしても、やっぱりウチの子になって幸せなんだと思います。

次の質問とも重なりますが、家で一緒に過ごす場合、動物にとっては本来あるはずのない『ルール』というものをヒトは一方的に押し付けます。教えても教えても動物がゆえにヒトにとっての間違いを犯す事がある。
以前、本家を連れてチビを学校に迎えに行った時に、興奮して寄って来たもも造の友達の顔に噛み付いたことがありました。急にギュッと抱きつかれてビックリし噛み付きました。幸い、その女の子は目のすぐ近くを噛まれたにも関わらず、跡も残らずキレイに治りました。本当に一瞬、権造が目を離した隙の出来事でしたが、権造は動揺してきつく叩いてしかってしまいました。権造がちゃんと抱っこして目を離さずに居ればよかっただけの事です。後であの叱り方は良くなかったと反省しました。やっぱり動物なので本能で危険を察知した場合や不快な思いをした時に牙を剥く事はあります。以後はヒトの側にも充分に注意を払うようにし、チビの友達が家に遊びに来ても本家がチビ達と一緒に居る時は絶対に目を離さず近くに居てチビの友達にも犬の触り方をちゃんと教え、本家の方にも繰り返しこの子は何もしないから大丈夫と教えています。
権造の知り合いで犬のグルーミングサロンを経営している人が居て、グルーミング以外にドッグウォーキングまでやっている『犬のプロ』なんですが、そんな彼女も新しく家にやってきた犬にはかなり手こずったようです。吼える、興奮して他の犬に飛び掛るといった感じで結局その彼女とだんなさんはトレーニングのプロにお願いして約1ヶ月トレーニングに出したそうです。帰ってきた犬は以前と見違えるようになり、その後は飼い主として彼女たちがきちんとトレーニングされた事を理解し今度は自分たちがそのトレーニングを引き継いでやっていく訳ですが、その努力には頭が下がります。
動物と一緒に暮らしていくというのはそういう事も含めて飼う側も責任を持ち違いを理解し、違いがあるゆえに癒されたりする事なんだと思います。

日本ではこういう施設サービスはまだまだ一般的ではないですが、無い訳でもない。日本に家族の居る別の知り合いの人は家に新しくやってきた犬をやはりかなり遠くの施設までトレーニングに出しています。もっとこういう施設や飼い主としての知識を得る場所が一般化し、こんな犬や猫なら要らないと安易に手放す人が減っていけばいいと思います。それが昨日も書いた『ジュルのしっぽ』で行われているような活動を助ける事でもあり、動物もヒトも共に幸せに過ごしていける道であると思います。

最後にもう一度、書き込みをしてくれた人達もメッセージを寄せてくれた人達もどうもありがとうございました。
伝わらなかったり伝わりすぎたりした部分がちゃんとそちらに届くといいなと思っております。






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最終更新日  2009年02月10日 14時24分58秒
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