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2009年03月02日
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テーマ:ニュース(99892)
カテゴリ:ニュースから
福岡の3歳の男の子がアメリカでの心臓移植を目指していた矢先に亡くなってしまったニュース。
あまりにも若すぎる死に心が痛んだ。

マイアミには去年まで日本人の多重臓器移植を手がける日本人のK医師が居た。
マイアミ大学の付属病院に勤務していてその伝手で日本からも過去に何度も臓器移植を受けに日本から子供が来ていた。
K医師は作造のレストランにもよく来てくれて、作造から話を聞いたりもしたし、K医師が書いた『移植病棟24時』という本も読んだことがある。一度は移植を受けに来ている子供が家族と一緒に作造のレストランで食事しているところにも遭遇した。後で聞いた年齢よりもずっと小さい体で、ベビーカーに座って点滴を付けたままで 多分日本から両親以外にも家族が訪ねてきていたのだろう、かなりな人数であった。
この頃、前後して2人の子供が移植待ちをしていたそうで権造が見た子供がどちらだったのかは分からないが、一人は移植後無事に回復しもう一人は移植手術は成功したのだが術後に拒否反応が起きてしまったらしく、本当に残念だったが命を落としてしまったらしい。

日本での臓器移植に関しては今も政府で法律改正のための案は提出されているそうだが審議は進んでないらしい。とても難しい問題である。

臓器移植といっても様々なものがある。
一つは生体移植。コレは生きているドナーから提供されるもので、生体腎移植、生体肝移植、生体肺移植、生体膵移植といったものがある。臓器ではないが骨髄移植も輸血も生体移植に入るらしい。
もう一つは死体移植。コレは2種類あり、一つが心臓死移植で腎臓、膵臓。臓器以外では角膜、骨、脂肪、皮膚および組織、とある。そしてもう一つが脳死移植。心臓、肺、肝臓、膵臓、小腸。そして角膜。

このうちの『脳死』というものが非常に解釈が難しい。
世界でも定義に違いがあり、一般的には『ヒトの脳幹を含めた脳すべての機能が不可逆的に廃絶した状態の事』、つまりもう元には戻らず回復不可能な状態になってしまうことらしいのだが、イギリスなんかは脳幹のみの機能停止を条件とする『脳幹死』というのが採用されているらしい。
Wikiによると、古来からヒトの死というものは明白なものであり、医学的に厳密に定義されることはそれほど重要ではなかったらしい。
1. 肺機能の停止
2. 心臓機能の停止
3. 脳機能の停止
この3兆候が現れるのが死であり、医師はそれに基づき呼吸脈拍対光反射の消失を確認してこれを死としていた。
が、医学が発展した今、人工呼吸器などにより脳の機能が廃絶し自発呼吸が消失しても呼吸と循環が保たれるようになる。
1.脳幹機能の停止
2.本来停止するはずの肺機能が人工呼吸器により呼吸が継続される
3.心臓機能も維持される
この過程の結果生ずる状態が『脳死』であるらしい。
そして脳死に陥った患者は随意運動が出来ずに呼吸器を外すと心停止するとされる状態であるが、中には回復の兆しが見える例も報告されている。そしてこれらの患者の心臓は動いており体も温かい。
臓器移植などの目的で脳死を法的に示す必要がある場合は脳死判定が行われる。

リンクが貼ってあったので他のページにも飛んでみた。
長期脳死児の例がたくさん書いてあり、家族の考えや医師の考えも書いてある。
読んだ中で特にドキリとしたのが、『【ドナー不足】という言葉が【臓器をくれ】と聞こえる。』という長期脳死児を看護する家族の言葉だった。逆の立場の声というものはそういえば全くといっていいほど表に出てこない。自分の家族がもし脳死状態になったら、、という考え方は出来ても、その状態を経験している人々の気持ちなど到底理解しつくせないものである。

元々、心臓が止まって呼吸も止まって医師が脈がもはやないのを確かめて『ご臨終です。』と告げる習慣だった日本で、脳死というものの概念は難しいし分からない。
『生きているようだが死んでいる』のか『死んでいるようだが生きている』のか受け取り方が分からないし、例え脳死をもって死とすると言われたとしても体が温かいのなら受け入れがたいものがあるかもしれない。

日本は今15歳以下の子供の脳死による臓器移植は法律で認められていない。
よって家族は海外での移植に頼るしかない。この15歳というのは民法上での遺言可能年齢でそれに基づき設定されたらしい。

医学的にも境界線があいまいになってきている『死』というものは、個人の心情ではもっと受け入れ方が複雑である。今は改正法がどんな方向で進んでいるのか分からないが、一時は問答無用に脳死は死、という改正案も出ていたようで、これだと国内でも子供の臓器移植を、という動きに返って逆効果なような気がする。

まったく個人の意見としては、、、。
海外にまで行かなければ移植をすることによって助かる可能性の高い命が助けられないという現実は見直してみる必要があるのではないかと思う。
何歳ぐらいから移植の意思の提示が出来るか、という事は全く分からないので小さい子供に限定してみると、脳死というものが浸透しづらい風土の中で無理に脳死は死と法律で決めてしまうよりは、臓器移植に関しては、脳死という状態に陥ったときにそれを死と捉えるのか生と捉えるのかは親の決断にゆだねるという事も考えてみてもいいような気がする。親の心情としては自分の場合も含めて、到底受け入れがたいという人が多数を占めるのであろうが、脳死に陥った状態が苦しんで苦しみぬいた若い命が戦え切れなかった結果であったりしたら、よく頑張った、と思う人も居るのかもしれない。こうなってくると尊厳死というものも考慮しないといけないのだが。
法律は何もかも白黒に分けるものであるが、白でも黒でも基づく根拠をちゃんと提示して国民が納得できるものでなければいけない。が、それ以前に今の高度な延命技術だとその根拠の証明すら難しいのではないか。

今のアメリカでは移植の順番待ちというのはコンピューターが決めている。不正のあったかつての時代を反省して、今は人の感情が全く入ることのないコンピューターに診断の結果を数字で表しその数字に基づいてコンピューターが決められたエリアの中から命の危険が迫っている順に決めるらしい。そしてドナーが出ると搬送可能な地域内のリストから適合性や順番に基づき瞬時にレシピエントが選び出される仕組みである。
日本からやってくる子供たちの場合、すでに海外での移植が最後の望みとなっており、優先順位が高く、比較的大きな割合でドナーが出るらしい。
が、支払い能力をはるかに超え募金にしか頼れないような金額で海外で長い時間をかけて移植を待つよりはやっぱり自国で待つことが出来るのが理想のような気がする。

3歳の男の子の冥福を祈りながら、色々考えた。

書こうと思った事の半分も書けないような感じだし、途中でまたまた寝ちゃったので、とりあえずこのままアップします。。。







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最終更新日  2009年03月02日 17時20分25秒
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