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2009年08月19日
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カテゴリ:思い出話
今回、帰国時にトキオで会った高校時代の友人、hang_looseさんJACKIEとは同じ剣道部に所属していた。権造の日本での生活は高校時代で終わっているので、いつまで経っても一番懐かしい思い出と言うのはこの高校時代の思い出である。
その様子は以前にも日記に書いた事があるが(高校生の権造)、とにかく仲がよく、携帯なんかが無い当時は部活ノートを授業中にまわしたり、お正月には着物を着て武道館に集まったり、夏休みには一緒に地元の長島温泉に遊びに行ったりと、いろんな事を一緒にやった。
部活ノートなんて言ってみれば『交換日記』なのだが(この言葉って今でも使う??)、権造たちの学年が一番人数が多かったので、ノート一冊だといつになったら自分の所にまわってくるか分かったもんじゃない。なので何冊かを片っ端からまわしていた。
真剣に『○○の面を打つときの踏み込みはココを直したらいいと思う。』と図解で説明しているテクニカルな日記もあれば、『今、漢文の時間。つまんね~~。』といったおサボリ日記もあり、権造はまわってくるとすぐに授業中に書いて休み時間に他の子にまわしていたんだが、あの日記って誰か大事に保管していたら奇跡である。まさにタイムカプセルのようで、今もし見る事が出来たらものすごく楽しいと思う。

権造はとっととアメリカに来てしまったし、卒業後のOB会には2度しか出た事が無い。
どちらも卒業後すぐの数年の間で、その後は帰国するのがGWあたりだったり、最近はOB会開催のお盆の頃はチビ学校が始まる時期でもあり、なかなかこの時期に日本に居る事が出来ない。
なので毎年メールでOB会開催のお知らせが届くと、今年も行けないよなぁ~と寂しい思いをするのだが、今年はジャッキーが久々に夜の飲み会だけではなく昼間の合同稽古から参加したそうだ。
この合同稽古というのはOBのセンパイたちが現役の後輩をしごきまくる夏合宿の3日間のうちのシメとも言える大事な稽古で、毎年バッタンバッタンと倒れる者が続出する現役時代は恐ろくてしょうがなかった稽古だった。倒れたものから引きずられて隣の柔道部の畳の上にあげられラグビー部のように魔法のヤカンが登場となる。体育会系のノリというのは恐ろしく倒れても倒れても起き上がると再び向かって行く。
権造なんかは高1の合宿でいきなり骨を折っちゃったので涙の撤退を余儀なくされ、高2の合宿は憧れだったぶっ倒れに見事成功した。体育会系とは対極の生活をしている今、よくまぁあんなに頑張ったものだと思う。

こんなOB会に今年はジャッキーが行くというのでどんな感じだったのか結果を知るのを権造は楽しみにしていた。
で、最近ジャッキーが書いたブログの中にOB会の様子が書いてあったのだが、権造はものすごくショックであった。

今年は、、、なんと現役高校生の部員がゼロだったそうだ。

という事は必然的にOBだけの合同稽古となる。
きっとそれはそれで大いに盛り上がったのかもしれないが、とても寂しい思いがした。

権造達が現役だった頃というのは権造達の学年が特に部員が多かった事もあるが、現役も沢山居たしOBの先輩方もずら~~~っと前に並んでいて武道館ではなく体育館で合同稽古をやっていた。高校生の権造は、この剣道部ってコレだけOBの人たちまで沢山集まってものすごく縦も横も繋がりが濃いんだなぁとひたすら感心した。同期の男の子は九州かどこかに引っ越したが夏合宿には帰ってきていた。
が、それも長い年月のうちに変わっていったようだ。多分権造達の学年が黄金時代だったようで後は段々と減っていったのではないかと思う。

武道館は建て替えられて立派な綺麗なものに変わっていたが、そこで練習する部員が居ないというのは高校時代をそれに何もかもをつぎ込んだものとしては、やっぱり物凄く悲しい。

権造がこっちに来たときに持ってきたアルバムの高校生時代の写真と言うのはこの部活の友達が写っているものが一番多い。
なんだかこういう『いつまでも変わって欲しくないもの』が消えてなくなってしまう方向に変わっていく様というのは切ない。
一旦ゼロになったものが再び増えていくことって難しい事である。
だけどやっぱりもう一度権造達の世代のようにアホみたいに仲の良いマジメ度もアタマの出来もバラバラだった仲間が集まったら当時と時代は違うけどそれはそれで凄く楽しいんじゃないかと思う。

なんて事を考えながらここ数日センチメンタルになっていた。
権造の地元では地場産業の一つとして焼き物を生業としている家がたくさんあった。
年に一度はお祭りがあり、その時には道路沿いにずらっと各窯元の陶器が並び、お皿一枚30円なんて破格の値段で買えて遥か遠方からも沢山人が来てテキヤの出店も沢山並び小さい頃は毎年毎年行ったものだ。
マイ実家も祖父母がこの焼き物の工場を持ち工場の中には大きな釜がいくつかあり、小さい頃はそこに落っこちたらどうしよう、とよく怖がったものだった。小学校にも釜があり卒業制作に権造はピンクの魚を焼き物で作り、校舎の横に作られた塀に各生徒の作品が埋め込まれた。なんどか日本に居る頃は見に行った覚えがあるんだが、あれなんかも今でも残っているんだろうか。

当時は幾つ位あったのかは分からないが、今はそういった工場も少なくなり実家のまわりの工場もどんどん取り壊されて全部分譲住宅やアパートになった。マイ実家もアパートと駐車場になっている。この焼き物を生業にしている所は今じゃ数箇所だけじゃないかと思う。

こういう事も同じような寂しさがある。
食って行けない、後継者が居ない、ではしょうがないのかもしれないが、ずっと続いていたものが消えていくのはやはり残念だ。
マイ実家で作られた数々の陶器は取り壊さずにそのままになっている以前に住んでた家の隣の倉庫に少しだけ保管されていた。
権造が結婚した時に、その残っていたわずかな中からいくつか急須を家人が持ってきてくれた。大切なお友達にあげるように、と父造が、多分祖父造が昔そうしていたのだと思うのだが、鼻の油をつけると輝きが綺麗になるとかで指でグリグリしていたものを、こっちの友人何人かにあげて1つは大事に権造が使っていた。
一度蓋の端っこが欠けてしまい、コレはボンドでくっつけてそのままずっと使っていたのだが、随分何年も前についに急須ごと落っことして割ってしまった。
権造の子供時代に工場で遊んだ思い出が木っ端微塵になってしまったようで、権造はちょっと涙ぐんでしまった。

最近だとちょっと違うが同じように寂しさを感じる事としてチビ学校の事がある。
1年生も閉鎖になると日曜日にここ造の友達の誕生日パーティーで聞いた。
今日はケイリーママと電話でこの件について話し合っていたのだが、木曜日の父兄のオリエンテーション次第で来週から始まる学校を変更する事もいよいよありうる、という事になった。
上に書いた焼き物産業もこういった学校経営も、収入という金銭的なものや需要と言うビジネス的なものが絡んでくるので時代に即していないモノが何か有りその結果の淘汰と言う部分もあるのだろうが、一父兄に過ぎない権造がこれだけ寂しい思いをしているんだから、25年間ずっとこの学校で教えて来てこの前の年度末でリタイヤしたもも造担任の先生や、他にも30年以上勤め上げている先生達やオフィスの人達の寂しさはとてつもないものだと思う。

という事で。
おセンチな日記になってしまったが、チビ学校は切実でありここ数日ネットで学校関連の情報収集に余念が無い。
土壇場になって1年生も閉鎖というのは去年約束した事に反しないかと思うのだが、それ以前に父兄がさっさと転校させてしまって生徒が居なくなって仕方なく、という事らしい。
法律的には学校はいかなる変更も生徒の家族に前もって知らせる義務はない、という事を同僚に今日教えてもらった。払い込んだ入学金や学校の維持費も返すいわれは無いということらしい。
実は学校に月曜日チビをつれて顔を出しにいってきたばかりだ。
ニコニコしながらバケーションはどうだった?と聞いてきた牧師兼校長先生。あの先生がもしかしたらもも造学年も閉鎖しようとしてるとしたら、、と思うと、なんだか何よりも疑心暗鬼になっている自分がイヤである。オリエンテーションはあさってなのだが、明日1日こんな気分で居るのはイヤなので、学校に電話して聞いてみよう。



今日のタイトルはズバリ、ジャッキーの日記のタイトルをパクらせてもらった。
このジャッキーはアーティスト気質で、他の日記のタイトルも『流星のドライブ』だとか『24年後の卒業アルバム』だとか洒落ている。ってかカッコいい。
一応、クリエーターの端くれの職業についている権造と言えば、『頑張れ三半規管』だとか『チビよ、泳げ』だとか『ザ・恐怖!アリンコとの闘い』だとか、ナンジャラホイなタイトルばかりである。コレはひとえに、キラリとした感性とドロリとした思考力の違いだと思う人も、詩人と雑人の違いだと思う人も、それよりオイ、結構歳だなと思う人もクリックよろしくお願いします。
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最終更新日  2009年08月19日 13時20分45秒
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