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カテゴリ:東北関東大震災 その後
巨大地震当日。
その日の2時過ぎから、私は品川某所のオフィスビル高層階にいました。 セミナー受講中、小さな揺れがだんだんと大きくなり、机に潜りました。 ニュージーランドの事があったので、片手にペットボトル、 もう片方の手には携帯を握りしめ、第一波の本震が終わったと同時に、 「こっちは大丈夫、そっちはどう?」と姫にメール送りました。 数分後に返事が来たので一安心。 セミナーは急遽中止となり、窓の外を見ると、お台場の方から黒煙があがり、 悪夢のような現実を実感しながら階段を下りていきました。 港南口の広場に出ると携帯片手の人達がワラワラと集まってました。 その中の1人がビルを指差し一言、「うゎーヤバイ」と叫びます。 その方向を見ると、古いビルはグラグラ激しく、その後ろにそびえる新しい高層ビルは ゆらりゆらりと優雅に揺れているのです。 無対応ビルなのか耐震と免震、制震の違いなのかは分からないけど、凄い光景でした。 その後、品川から皇居方面に向けて国道15号、国道1号を使って歩きます。 前半は、ビル内から路上に退避した人たちが大勢表に出ている位でしたが、 そのうち大手町、新橋方面からの帰宅難民の人達とすれ違うようになりました。 国道1号に入り、桜田門に向かうのですが、日本の心臓部霞が関は平穏でした。 財務省、外務省、総務省は慌ただしい出入りもなく、ヘリの音だけが響いてました。 足が痛く体が冷えてきたので丸ビルに一時退避。 一階ホールは、ホワイトデーコーナーのお店が空しく目にうつり、 大きめのビジョンの東日本大地震映像が生々しかったです。 バスが復旧したみたいなので、バス停に向かうのですが、数百人の大行列。 革靴の中の足は痛いけど、仕方ないなと歩き始めます。 歩きながら色々な人にメールや通話をしたのですが、 ウィルコムが一番繋がりやすかったです。auが一番だめだめでした。 神保町まできたので、さぬきうどんの有名店で腹ごしらえ。 歩き疲れるとお腹が空くものだなぁと大盛りを頂きました。 美味かった。 東京ドーム横を歩いたけど、帰宅難民を収容する事もなく明りが消えてました。 コンビニの陳列棚は空っぽ状態で、トイレ待ちの行列が長かった。 この後家に帰るまで、ノロノロ走るバスを徒歩で5台は追い越しました。 歩きながらふと考えたけど、以前の阪神淡路大地震の時も政権担当は自民以外。 村山とんちゃんの初動遅れに非難が集中したっけな。 あれは1995年1月だったけど、その2カ月後に地下鉄サリン事件が起きている。 暗い暗い1995年でした。 今回の大地震も自民政権ではない。偶然なのか何かあるのか? きっと数カ月後に再度良くない事がありそうで怖いなぁと思いながら帰りました。 今日は休日出勤しているのですが、家で地震速報見ていると暗くなりそうなので 気を紛らわす事ができていいかなと思ってます。 今後断水になっても耐えられるよう、水を箱買いして帰ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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