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いろいろとあったこの5ヶ月本当に大変でした~。
6月に私の母親が体調を崩し高熱が出て緊急入院 症状も思わしくなく人工呼吸の説明を夜呼び出され一人で説明受け頭の中はパニック 人工呼吸を付けると自発呼吸が出来ない限り死ぬまでそのままだし 話も出来なくなる意識も無くすので話すことも出来なくなる本当に植物人間状態になる。 そんな姿は父親のときに見ているので本当にその姿は見たくない。 また延命処置はどうするか返事を下さいと言われ本当にパニックでした。 看護士さんも入院時の質問で母が答えたことを教えてくれました。 「○○さんは延命処置は望んでないと書いてあります」って。 そんな事言われてもその時はまさか本当に自分がその状況になるなんて考えてないではない か?頭の中はもうパニックです。 即、沖縄にいる兄へ電話し私たち兄弟だけでは判断できず母親の一番上の姉に電話し どうしたらいいか相談。一刻を争うような状況でした。 伯母さんは翌日朝一で病院に来てくれて様子を見て先生の説明を聞き 延命処置の説明も聞き母の様子を見て帰りました。 兄も翌々日帰ってきて母のそばに居てくれました。 強い薬がジワジワと効いてくれて7日目には大分落ち着き酸素の値も徐々に下がり よい感じに落ち着いてきて集中治療室から出ることが出来ました。 兄も黒スーツを持参して帰ってきましたがそのまま置いて帰ることになり 私はまた不安な気持ちと忙しい日が続きました。 いつ急変するかまだまだ気が抜けませんでしたので携帯電話も肌身離さず持ち歩き 不安な日々が続きました。 7月には食事も出来るようになり回復に向かい一安心してましたが 酸素の値はあまり下がらず8という数字のためまだまだ心配 そんな中子供達も夏休みになり毎日病院に顔を出し本当に家族でがんばりました。 8月には歩行の練習も始まり順調かと思いましたが・・・・・ お盆休みの前は父親のお墓の事など・・お迎えの日や送る日用意するもの・・ 体調もよくあれ食べたいこれ食べたいなど・・ 子供たちもおばあちゃんにお手紙や折り紙・絵などたくさんたくさんプレゼントしました。 一度だけおばあちゃんからお返事のお手紙をもらい今も大切に持ってます。 病院でも何気に携帯で撮った孫との写真、今ではすべて宝物です。 9月には個室に戻り、集中治療室へと逆戻り・・ 先生から電話をもらい兄にも翌日戻るよう電話して、その晩病院へ泊まり 最後の夜を共にしました。 翌日昼前には旦那に子供達も連れて来てもらい孫が到着して30分もすぎないうちに 息を引き取りました。 孫を待っていたのかな~って思いました。 9月23日・72歳・母 永眠 父親が亡くなってから昨年末に7回忌が終わりホッとしたのでしょうか 父親は61歳母親は72歳、まだまだ若いぶるいなのに早すぎます。 まだまだ母親には長生きして欲しかったです。 子供達もずっとおばあちゃんと一緒だったので本当にショックでした。 しかも自分で覚悟していたんでしょう実家の後片付けのことや葬儀の事 私に話し実の姉にも頼み意識もうろうとなっていきました。 葬儀が終わりホッとするまもなく母の家の掃除と引越し ようやく昨日完了しました。 これで7日の49日法要には間に合いました。ホッとしています。 出来ることなら父親と逢えるよう願うばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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