芒洋の日々　

また、ひとつの旅が終わろうとしている。日本から来たゼミの一行を、18日にイスタンブールで見送った私は、ブルサというイスタン近郊の温泉街に2日間滞在していた。早朝イスタンに戻ってくると共に、オランダに帰る友人と別れ、この旅の最後の夜を迎えた。沖縄の時もそうだったが、旅の終わりは気がつくといつも独りになっている。

今日の１日は、ゼミ合宿中に行きそびれたトプカプ宮殿やアヤ･ソフィアを回った後、アジア側にあるカドキョイという街で日没の時間を過ごした。トプカプ宮殿は、ハレムの入場料も含めて1500円近くも払ったのにもかかわらず、その広大な敷地と目映いばかりの宝石以外は特に印象に残らなかった。アヤ･ソフィアは、ブルーモスクとトプカプ宮殿の間に位置し、外見こそ他の2つに劣るものの、建物の中に一旦足を踏み入れると、その歴史の壮大さと重厚さに目眩を感じるほどの圧倒感を受けた。元々はギリシア正教の大本山として4世紀に作られたものだが、15世紀にコンスタンティノープルの陥落とともにイスラム教のジャーミーに変えられている。このような歴史の変遷のために、現在でもドームの天井の「アッラー」の巨大な文字と聖母マリアの像を同時に見上げることができる。

このアヤ･ソフィアのある地区は、イスタン観光のメインの場所でもあるため、様々な類の客引きが横行している。どこの観光地でもそうだが、日本人の観光客が狙われることが多く、ゼミの先生にも「地球の歩き方」にも日本語で話しかけてくる人は信用するなと言われていた。更にゼミ合宿で泊まっていたホテルもこの近くであり、既に最初の数日間でこの客引きの類には閉口させられていた。そこでこの日用意したのは、イギリスから持参したイスラム帽である。ムスリムが礼拝時に被るもので、断食月終了の記念にと、フラット・メイトのラシードから白い上下の衣装と一緒にもらったものだ。こんな時に使うのもどうかとは思うが、この帽子の効果は絶大であった。どんなにしつこい客引きでも、帽子を指して礼拝に行くところだと言うと、気まずい顔をして即座に引き下がった。少し調子に乗った私は、「日本人ですか」と声をかけられた際には、「私はムスリムだ。アッラーとウンマにだけ属している」と心にも思っていない言葉を返して、相手の反応を楽しんだ。

そうこうして客引きされることは少なくなったが、今度は私に興味を持った2人の学生に声をかけられた。明らかに日本人に見える観光客が、トルコの街ではあまり見かけない（というのも、トルコの人口の大多数はムスリムだが、政教分離の政策が進んでいるため）ムスリムの帽子を被っているのだ。確かに、興味を引くに違いない。「ムスリムか？」と聞かれて、今更違いますと言えるわけでもなく、イギリスに行って改宗した日本人ムスリムに成りすまし会話を続けた。少し懐疑的な相手の視線には気がついたし、それでもありったけの知識を総動員し私はムスリムを装った。これ以上話し続ける自信がなかったため、お茶を飲みに行こうという誘いを断って、彼らとは反対の方向へ進むことにした。そして、何となくバツが悪くなった私は、この遊びをやめてしまった。

これが、この旅の最後の一日だった。私は明日、バーミンガムのムスリム地区に戻る。人の記憶は薄情だから、この2週間の内に、私は「アストンの私」のことをすっかり忘れてしまっている。それでもまた、そこでの生活が私の日常になっていくのだろう。