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私たちの家の2007年は、裏庭での花火大会にはじまった。この花火は、ガニー氏が昨年10月の断食明けのEidの日のために買ったもので、あまりに大量にあったので翌年に持ち越された。1月1日の0時を回るとともに辺り一帯で花火が飛び交い始めるのだが、凍える寒さの中1時近くまで続けいたのは私たちだけだった。この日の“勝利”を、「明日、バーミンガム・カウンシルから表彰状が届くだろう」と、なぜか半ズボン姿だったガニー氏は満足げに話していた。
元旦の朝は、静かだった。この日始めにあったことと言えば、服に火が燃え移り、危うく火事になりそうになったことだった。家のキッチンでは、火をつけるためには、ガスの栓を開けた後ライターかマッチで点火させなければならない。しかし、これがなかなか難しいのだ。四ヶ月も生活しているのに私はまだ慣れず、この時もガスをひねってからしばらく経ってようやく火がついた。と同時に、それが寝間着に引火し、腕から胸の部分までを炎が走っていった。たぶん、私の服がガスをふんだんに浴びていたためだろう。まるで焼身自殺のようではないかと一瞬焦ったが、服に焦げた跡と臭いを残してやがて火は消えた。 そんな元旦だった。ところで、イギリスにも一年の初めには、"resolution"(抱負)を語るという習慣がある。私の2007年のresolutionは、これまで同様に“経験する”・“自分の足で歩く”ことを大切にしながら、それを理論化し、言葉にできるところまで深めていくということ。それから、どこまでも“枠”を越え、常に“堺”を行き来していくということ。 たぶん日本に戻るのは、6月頃になるだろう。但し、そのまますぐインドネシアの東西ティモールに、フィールド・ワークに行くことになるかも知れない。友人のLが、マスター論文とドキュメンタリー映像作成のために、今年の4月から7月までティモールに帰って聴き取り調査を行うのだそうだ。この計画を考え始めた頃から、なぜか彼の頭の中にはプロジェクト・メンバーの一人として私が入っており、早くインドネシア語を学べと言うのだった。事の成り行きをまだ最後まで書いていなかったが、その頃にはラシードもマレーシアに住んでいるだろう。院試云々次第でまだわからないが、今年の夏休みは、先にイギリスを離れることになるこの2人の友人を訪ね歩こうと思う。 65 Arden Roadに住む7人の輝かしき未来を祈って、庭に7本の火花が植えられた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 2, 2007 04:06:09 AM
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