芒洋の日々　

2.13日記のコメントに対する議論の続き

アイデンティティ・ポリティックスは、現実の社会では未だに重要だが、理論的には90年代の段階で既にそれを乗り越えていたのではないか。言うまでもなくここでの主要な理論化は、サード・スピヴァク・バーバなどのポスト・コロニアリストだが、イギリスの文脈で言えばホールやギルロイなどのカルチュラル・スタディーズに依っている。

私の理解では、Materialismのアイデンティティ・ポリティックスは、white/black、man/woman、straight/gay、normal/deviantなどの対立を、dominant/subordinateの二元論に持ち込むことで抵抗しようとしている。そのため、essentialismに陥りやすいばかりか、この議論は現実にあるヘゲモニーを言説として再生産してしまっている。ここでのアイデンティティは、「「わたしは○○である」は、「わたしは××でない」と（いう）コインの表裏」を成している。

対して、differencialismのアイデンティティの理解は異なる。例えば、スチュアート・ホールは、“the fully unified, completed, secure and coherent identity is a fantasy. Instead as the systems of meaning and cultural representation multiply, we are confronted by a bewildering, fleeting muliplicity of possible identities, any of which we could identify with - at least temporarily(1991)”と論じている。ここには、差異の表明の中に、既にその差異を乗り越える契機を含んでいるのである。

しかしながら現実には、このmaterialismとdifferentialismの明確な区別を付けることは難しい。例えば、先に引用した「聾唖のどこが悪いのだ」という山田洋次の映画での台詞は、健全者と身体障害者という価値順列を乗り越えるような表明にも聞こえる。映画自体も、可哀想な聾唖の娘という見方をする周囲と永瀬演じる青年労働者の間の葛藤を描いている。つまり、身障者は健全者に劣る（願わくば誰も身障者にはなりたくないと思う）という従来の価値基準を覆そうとしているようにも読み取れる（山田監督の真意はわからないが）。ただ一方で、この台詞を聞いた時に連想させられたのが、Public EnemyのChunk Dの"Black is not so bad"という言葉だった。これらは、normalやwhiteへのただのリアクションに留まっているようにも思える。例えば、60年代の"Black is beautiful"、あるいは岡林の「部落に生まれた　そのことのどこが悪い　どこがちがう」という歌とどこが違うか？


ここまで来た時、明らかに私の議論がこんがらがってきていることに気がついた。それと共に、幾つかの根本的な問いが浮かぶ。第一に、スチュアート・ホールのようなアイデンティティの理解は、現実に考えていかに（あるいは、どこに）抵抗の拠点を見いだすことが可能なのか？　第二に、Multi-culturalismは差異の存在を承認するが、そのことが逆にアイデンティティの流動化を拒んでしまっている。では、現実にはmaterialismの論じるような格差が存在する中で（差異の承認は、同時に格差を固定化している）、いかにそれを壊していけるような動きが生み出せるのか？　しばし再考する。