カテゴリ:コメントいっぱいの日記
僕が入社二ヶ月目の時、
くも膜下で突然逝ってしまった母。 まだ48歳だった。 僕は今49歳、 母の年齢を超えて初めての命日。 僕の記憶の中にいる母は若い! 昭和7年に生まれ、 多感な青春時代を戦争で失った。 「骨も食べられるぞ」 「もったいないじゃないか」 「生きていればなんとかなるものだよ」 「強きを助け、弱きをくじくようなことはしてはいけないよ」 「皆、助け合っていたんだよ」 母の言葉に若い僕は反発もしていた。 後になってやっと理解できることはたくさんある。 家にはいつも漬物の壺があった。 おかずは味噌汁と卵といつもの漬物。 「いえ、けっこうです」 もらい物はこう言って一度断ってからいただきなさい。 「学校は休まず行きなさい」 父の葬儀の時も一日休んだだけで僕には「学校には行きなさい」と言った。 「差別をしてはいけないよ、昔はお父さんのいない家はいっぱいあったんだよ」 と言いながら何かを思い出し嗚咽した。 「美味しい、美味しい と言って食べなさい」 たくあんだけだって、ご飯さえあれば美味しく食べられるんだ。 イカの塩辛だけの時も温かいご飯に乗せて美味しく食べていたなぁ。 卵と味噌汁だけなのに美味しそうに食べていた。 貧しいことが当たり前の時代に育った母。 安いスーパーを知っていて、電車で4駅分も自転車を走らせ買い物をしていたなぁ。 雨漏りのする家で笑顔を絶やさなかった母。 「なんとかなるよ」 いつもこう言って、不安だった僕を安心させてくれた母。 僕もこうありたいと今思う。 母が亡くなってからもう28年・・ 母と過ごした時間より長くなってしまった。 結婚式の披露宴、 母に見てもらいたかった。 花束贈呈したかった。 あかちゃんが生まれて、 初めて笑った時、 あかちゃん抱いてもらいたかったなぁ。 いつも同じチェックのコートを着て買い物に行ってたなぁ、 兄と洋服の整理をしている時、 そのコートを久しぶりにみつけ、思わずこみ上げた。 僕を生んでくれてありがとう。 貧しくても笑いを絶やさず育ててくれてありがとう。 m{_ _}mどうかひとつお願い致します。 ↓ ↓ ↓ テレビから流れる歌の歌詞が心に響いた。 「千の風になって」http://syoutarou34.cool.ne.jp/ ←メロディーが聞けますよ 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません ・・・・ 「かあさんの歌」 母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた 木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせと編んだだよ ・・・・ 母は朝新聞配達をして、 昼は工場勤め、 夜は手袋を縫う内職をしていた。 一つ何円にもならない内職だった。 「かあさんの歌」 は僕の中では母の記憶が蘇る歌だ。 母がよく口ずさんでいた歌。 ■故郷( 兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川・・) ■夕やけ小やけ( 夕焼小焼で 日が暮れて 山のお寺の 鐘がなる・・) ■春の小川( 春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に・・) ■春よ来い( 春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちゃんが・・) ■とんぼの めがね( とんぼの めがねは みずいろ めがね・・) ■たき火( かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき・・) ■こいのぼり( 屋根より たかい こいのぼり おおきな まごいは おとうさん・・) ■赤とんぼ( 夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日・・) ■蛍の光( ほたるの光 窓の雪 ふみよむ月日 重ねつつ・・) 年をとると涙もろくなるものだなぁ。 関連ブログ ■ 母への思いが綴られた手紙。・・・今日は母の命日。 ■今ごろお父さんは天国であなたと家族として長く暮らせたことを感謝していますよ(^-^)あなたが悲しんでいること、泣いてくれたこともきっと喜んでくれているはずです ■父の想いで。 ■親友(第1話) ■永遠の別れ(第2話) ■一緒に泣いてくれる人が一番嬉しい。 ■「三丁目の夕日」を観た。 母親の生きていたころ、温かい愛情に包まれていた頃の記憶で胸が熱くなったのかな。 ↑ ↑ ↑ ポチっと ヨロ(`・ω・´)スク!押してお帰りくださればありがたい (o*_ _)o))ペコッ。ブログランキングどす
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Last updated
2009/06/14 12:15:31 PM
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