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独立するにあたって、 僕は最初から2業種以上と決めていた。 できれば3業種目を早めにやりたかった。 一業種目はアパート、マンションの不動産賃貸業。 しかし借金もあり家賃は返済にまわってしまい手取りは余り無い。 二業種目は店舗改装企画。 東急時代の実績と第一興商ビッグエコーさんの改装企画をやらせてもらって デザイン、集客企画には自信を持っていた。 さて三業種目。 ビッグエコーのカラオケ店改装が成功し、 僕もカラオケという事業をやってみたいと考えた。 群馬第一興商の林社長(平成4年時、現在の社長とは関係がありません) とこの事業について話をしている時、 社長は興味深いことを話してくれた。 「実はね、開店以来ぱっとしない店があるんだよ」 どう頑張っても売上げは上向かない店だと言う。 僕は注意深く原因を考えていた。 チラシ、看板、接客、人事、メニュー・・・ かなり頑張ったようだ。 そして・・ 「撤退も考えているんだよ」 こう言ったのだ。 1億円も投資して残債も5千万円以上あると読んだ。 撤退費用も含めると7千万円近い大損害だ。 僕はひとつのことを思いついた。 僕がこのお店を引継ぎ、借金の返済をすると、 このオーナーは7000万円の損害を回避できることになる。 そして僕が今より売上げを上げた分だけ、僕の利益になるとしたら 僕もやりがいがある。 手を尽くして、このオーナーは赤字なのだから リスクはオーナーに背負ってもらいたい。 そして僕は無謀にも思い切ってこう言ってみた。 「社長、僕にこのお店を譲ってください」 社長とはほんの半年ほどの付き合いだ、 この半年間という短い期間に・・ 僕は僕の”誠心誠意”を見せたつもりだ! 全力で頑張ったことはいうまでもない。 ビッグエコーの改装を成功させたことは社長が一番喜んでくれてはいた。 しかし、僕には親がいない、 保証人になってくれる人などいない、 会社を立ち上げる時で、今は何も実績が無い、 このような人間に銀行はお金を貸すはずが無い! 聞くと、義理のお兄さんの一人が 小渕恵三、 後の内閣総理大臣だ。 この時、平成4年。昭和が終わり、「平成」を発表した人だ! このくらいの認識しか無かった。 もう一人の義理のお兄さんは 群馬トヨタの横田社長だという。 このような名門の家系の方が 「どこの馬の骨かわからない僕のような人間に譲渡してくれるはずが無い」 無謀なことはわかっていたが僕は自信にあふれていた!! そして、 社長の口から出た言葉は・・・・ 《続く》 ← U^ェ^U ぽち ← ▼・。・▼ ポチ
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Mac Nakata
希望通りの人生を手に入れる人と普通に終わる人の差ってなんだ?! 生まれた時、皆、何も知らない赤ん坊だった。人生の時間は平等にある!この時間をどう生きるか!なんだよね。2006年6月30日開設) Mac nakata
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