塾も育つまでには半年はかかる。
インターネットカフェもパソコン教室も同じだ。
そんなことはわかっていた。
一方、店舗デザイン部門はバブル崩壊後も好調だった。
相棒の高柳さんが頑張っていてくれることが救いだった。
稼ぎのほとんどはビルの返済にまわってしまったが何とかなった。
年が明け春になるころ、
テナントが1件決まった、
託児所だ。
塾に活気が出てきた。
パソコンスクールもインターネットカフェもかっこがついてきた。
さてどんどん次の事業を展開しよう。
一階に
アジアン茶屋をオープンさせる準備に入ろう。
テナント誘致もさらに1件決まった。
1000円カットサロンだ。
しかし、
せっかくテナントが決まり出したが託児所が半年で撤退。
ヤマダ電機の松本さんがやってきた。
彼はどんどん出世していた。
ヤマダ電機ではパソコン教室を始めるのだという。
「Macさん、ここにヤマダパソコン教室をオープンさせましょう」
5階にテナントだがヤマダパソコン教室が入った。
後にカットサロンもヤマダパソコン教室もうちの直営となる、
譲渡してもらったのだ。
2階で始めたWEB部門も2年目に2千万を売り上げた。
塾も2千万を越えた。
長く苦しい一年だった。
フェラーリも7ヶ月で買い戻した。
いい経験をした。
思い切ったリストラ。
そして2年ほどの間に新規事業を8つ開業!
アジアン茶屋、カットサロン、WEB広告事業、インタネットカフェ、
個別指導塾、パソコンスクール(ホームページ作成、アドビ教室)
日建学院WEB講座、ヤマダパソコン教室、
短期間にこれだけ開業した。
僕はこの2年間で経営者としてのコツ、ツボが少し解った。
そのコツ、ツボとは・・
《続く》
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