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カテゴリ:日々つれづれ
進学・結婚などで実家をはなれても、 やはりお盆には家族と一緒にお墓まいりをしないと、 落ち着きません。 ここ10年ほどは、 お盆に供える「みずのみ」は、わたしが作っているし・・・。 なんだか自分で野菜を切らないと、夏をむかえた気がしなかったり ところで、 「みずのみ」というのは全国的に使う言葉なのかな ちいさい頃から音の響きで覚えている言葉なので、 意味は知らず・・・。 今ネットで調べてみると、 「みずのみ」は、 「水飲み」(と思ってた)ではなく、 「水の実」と字をあてるらしい。 意味は、 「水の実」 茄子・瓜などを細かく刻んで水鉢に入れ、洗米をまぜたもの。 盆の供物の一つ。 (JLogosより) ということらしいです。 我が家は、 茄子、瓜、洗い米の他、 花型にぬいたニンジンや、フルーツ、白玉だんご等を入れます。 水鉢ではなくタッパーに詰めて、 おまいりし、 先祖のお墓に少しずつ分けてお供えする。 (お寺さんの「施餓鬼」で用意されているのは、 JLogosの説明通りの「水の実」です。 そちらの水鉢の供物は、水を湿した葉っぱで濡らして供養とするんだけど・・これは全国共通かな?) きっと地方により、 いろんな風習があるんだろうな。 風習がなくとも、 人それぞれのお彼岸があるんだろうな。 祈りの形は様々なれど、 今を生きる人たちの気持ちが、 敬いとして、 ご先祖さまに届けばいいな・・・と思います。 わたしにとっては、 祖母が亡くなって3回目のお盆でした。 子どもの頃、ご先祖さまのお墓参りはつらくなかったけど、 でも今、 祖母が眠る前にくると、すごくすごく悲しい。 母は、わたしの100倍悲しそう。 それでも、 薄紙をはぐように、 その「悲しい!!!」という気持ちは、 「供養」という言葉に変化しようとしているかもしれない、 と思います。 ちいさな1日1日の積み重ねで、 五劫が擦り切れるほど長い時がすぎていって、 そうして、 人間1人の存在は、大きな時間の歴史の中に組み込まれていってしまうんだろうなぁ。 そういう意味では、 亡き祖母と、今を生きるわたしは同じ存在。 結婚して1年、 わたしは早く子宝にめぐまれたい・・・と思っている頃なので、 特にそんな風に考えちゃうのかも。 祖母が亡くなって、 母が50代を迎え、 わたしは子を欲しがる頃合になり・・・ そういうのを、いざ我が身に体感すると、、 「目には見えないけど、どんどん生命の輪っかはつながっているんだな」 と、すこし生を身近に感じたりします。 輪廻転生を信じる人たちの心も、 分かるような気がします。 ・・でもやっぱり、 愛する人と一緒にしゃべったり、食べたり、生きたりできないことは、 とても寂しいんだけどね。 なんて考えて、 お盆はやはり、涙、涙、です。 涙、涙だからこそ、 自分が元気に生命を謳歌してる(/させてもらってる)ことは とてもありがたくて、 できるだけしゃんと、 悔いのないように思いきり日々を送りたいな。 写真のワンコも、 今をときめく大好きな家族の一員~~ 2人(1人と1匹?)で、 めっちゃじゃれて、元気に遊んできました 良いお盆だったと、思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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