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カテゴリ:日々つれづれ
高橋源一郎「いつかソウル・トレインに乗る日まで」 高橋源一郎さんの小説が大好きです 親友がハードカバーの新刊を買ったというので、 借りて読みました。 が・・・! なんだありゃ 高橋源一郎、最初で最後の「純愛小説」 と銘打たれたこの本 ごつい分厚さで、 かつ、学生運動や韓国への特派員のネタで始まるから、 「え?もしやガッツリ系?」 と思って読み始めたんだけど、 けっこうスカスカだったよーな?! でもおもしろかったので、 つい夜を徹して読んでしまった。 このへんが文章のうまさ、ベテランの味だよな~。 センチメンタルすぎる読後感も、 高橋節でした。 しかしこの小説を読んで、 「男の純愛」ってなんなのだろう? と思わされたり。 物語の主人公は、 家庭と愛人がある50代ハンサム男性。 その彼が、 若くて美しくて超ナイスバディな娘と出会い、 仕事や義務をすべて放棄して、 彼女と愛し合って、純愛の在りかを求める・・・というお話。 ・・・。 それが男の「純愛」とロマンなんでしょうか? 高橋源一郎氏は、 離婚歴2回。 それはまーったく問題ないんだけど、 女性からすると、 “いつも「運命の」女性と出会い、結婚して、子をもうけ、 しかしいつしか離婚して別に愛の在りかを求め始める男性” の主張する純愛には複雑な思いがある 男の愛の行き着くところは、 いわゆる渡辺淳一の「失楽園」や「愛の流刑地」なのかぴら? どんだけロマン主義なんだよ。 つーか、男性はカッコよく湿った感情を持ってるつもりでも、 実はそれってどんだけ自由で単純で開放的? (と、女のつぶやき。) もしそれが男の「純愛」なのだとするならば、 女性のわたしがパートナーに求めるのは 「本愛」とか「真愛」だな~ わたしの夫も男だから、 男ならではの純愛を求める遺伝子もきっちり組み込まれてると思うけど、 それでも、 愛した女性を(理性の力で)愛し抜く、 という静かな愛情こそを、本物のラブだと思いたい26才自分 と思ってしまう自分は、 やはりまだまだコムスメなのでしょうか ********************************************* ☆追伸☆ 「いつかソウル・トレインに乗る日まで」 おもしろかったけど、あの2段オチはどうよ? あと、 物語にはややこしい問答が登場するんだけど、 その答えを読者に委ねるのはちょっとなぁ~・ 問題提起をしておいて、 それをクイズのように「読者の出す答えが答えです」みたいな お茶の濁し方をするのは、実はカッコよくないのでは? 最近の村上春樹作品を読んでいても思うことなんだけど。 ジェネレーション・ギャップなのかなぁ? 今の世代にとっては、 「クイズ」と「答え」をちゃんと提示することが 1番カッコいいと思えることなんじゃないかなぁと思ったり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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