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カテゴリ:ただそれだけのこと。
古舘伊知郎の人間くささ。 先日『報道ステーション』を見ていると、『今日で報道ステーション三年目で・・・』と言われ正直な話「よく続いたな」と感心してしまった。(笑) 古館さん(古「舘」が正式らしいが…別にどうでもいい話。)一部では「暴走機関車」みたいな扱い方なんですが、 冷静に淡々と続き、ややもするといつのまにか「洗脳的」なニュース報道に比べると「人間」を見れるので私は欠かさず見ています。(笑)そうなんです…。 『彼は流されない』 云ってしまえば「私が正義」とは彼は一言も云ってはいない。自分が考える「信念」があるだけのものと思う。ニュースキャスターとしては「異質」で「熱過ぎる」面白い資質の人間だと「ある意味」尊敬できる。 しかし心にも残る、某ライ○ドアの○○被告との「同レベルでのケンカ」はさすがに「公共の電波でどうなのか」とは思いますが…。(笑) 「私、ニュースを皆様に早く伝えることが義務と考えておりましたが、やはり何を始めるにも礼儀として『挨拶』が必要と思いました。これからは挨拶からの行動をとらせていただきます。」 人間くさいなぁ(こんなことするから一部の人間は大騒ぎ:笑)とおもいつつ話を一通り聞きました。要はいろんな視聴者からのメールなどの「意見」からの彼なりの「想い」なのだと思いました。 私もネットデビューするにあたり間違いを起こしても来ています。だって人間ですもの。ですが自分に「間違い」を感じるのなら素直に『謝罪』できる「人格」がある。無言で逃げるような事はしない。 前にも述べたこともあるが「知らないことは罪ではない。学ばないことの愚かさを恥じなければならない。」そのように、いつも考えている。「馬鹿な奴ほど良く喋る。」は結構な言葉(すばらしい事)だと思う。「知らないからこそ自分の事を話し、意見を乞う。」おかしいことはない。個人の尊厳の主張である。そこで本当に間違っているものならば悔い改めればいいことで永遠の罪にはならない。気づくことでまた一歩成長が出来るのである。 人間どうしても生理的になのか、思わず「大きいものには巻かれる」傾向がある。しかし、よく考えるとふと疑問に感じることはないだろうか?そのときに自分は立つ事が出来るかどうかで「人」として成長できると思う。 何にしろ自分というものはしっかり持って、わがままになるのではなく、周囲のことにも気を配り、心の耳をかたむけていたい。そう思っている。 偽善と思われるかもしれないがそれは私が信じること。他人は関係ない。わたしはそれを信じて生きて行きたいのだから。 そう、ただ流されるのだけ ではいけないと思う。 だめだなー。何いってんのかわかんないでしょ?ふふふ。はずかしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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