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カテゴリ:ただそれだけのこと。
「楽しきことはよきことかな」 だれだって「嫌なことにはフタ」をしたくなるものである。しかしなぜソレが 「嫌」なのか 考えてみたことはありますでしょうか?意外とないよね。ちょっと考えてみると「大した問題」ではなかったりするのが、もったいない。 「面白くなく」している原因は何か?を考えてみると一寸(ちょっと)気がつくことでとたんに面白くなることもある。要はややもすると、何だか自分でどんどん「嫌なこと」にしてしまっているケースがあるのだ。 本来何らかの技をなせる「出来る人間」と言うものは「好奇心が旺盛」なのが基本にあり、そのことについて「自然に好き」なだけダッタリする。極端な話で言うと、 ファーブル先生だって 「虫」がきらいだったら あんなに調べないよね。 ほら、もう答えはみえたようなものでしょう?簡単なんですよ。 「楽しいんですよ、本人が」 勉強だけでなく、いろんなことに関して「楽しく」なければやってらんないはずだ。だから周囲の人間も、本人も「なに」が面白くなくしているかを考えてもらいたいものだ。「義務」になってしまうと本気で面白くなくなる。 周囲の環境としては、すぐ頭からモノをいっちゃう人もいますが、まぁ、たとえば 「勉強しなさいよ」 「やることやんなさいよ」 「●●しちゃだめじゃない」 だけではそのあいては「学ぶ」わけはない。教えるにしても「興味や感心を持たせる」ことが出来ていないのでは『教育』ではない。「教えている」のは教えてるけど 「育てて」 ないですよ っておもっちゃう。あるセクションの部長さんがよく「なんでこんなことが出来ないんだよ。常識だろうが!!」と発狂しているのを良く見るが(つかキメ台詞?)彼がでも実際「なぜこのことを引き起こしているのか」を考えて・聞いて・究明して・指示をしているかというと「そうとは思えん。」何かと飲み会のときなどには気に入られているのか?近寄ってきては愚痴しか聞かんのだか・・・ まぁ、なんにしろ、「ああだめだ、こうだめだ」とただ単純にうるさい人を見るたびに、どうして「一緒に考える」とか「とにかくいきさつを聞く」とか出来ないんだろう?自分はああいう風にはなりたくないものだなぁ。とつくづく思っちゃったりする。 わかってない人間・わかろうとしない人間にはなりたくない。教えるにしてもうまく教えれば、自分と同じ考えになる人も集まり「またさらに楽しくなる」のではなかろうか?仕事だったらものすごくスムーズに行くわけだ。「楽になる環境作り」も「楽しむ」ことの一つ、無理することではなくのちに「自分のためになる」と考えてみればいろんなことにリンクして 「楽しく」なるはずだ。
嫌なことでループするよりは新しい「レール」を試すことや「改善・改良」を求める姿勢は持っておきたいよなーって思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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