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テーマ:今日の出来事(292920)
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昨日実家に行った。(車で25分)
テレビでは相変わらず中国の反日デモのニュース。 そういえば、ウチの母はもう少しで中国残留孤児になるところ だった人でした。ちょっとだけ母の歴史。 母は終戦直後に満州で生まれ、祖母が一人で母の姉と母を日本に 連れて帰ってきました。乳児と2歳未満の子供二人を抱えて、女 一人で帰るのは大変なこと。でも、周りの中国人が「下の子(母) はどうせわからないのだから、育ててやるからおいていけ。」と 言うのを聞かず、かなり無理して帰国したようです。 当時の満州は「赤い月」を読んだ方なら想像がつくと思いますが 船に乗るまでの道のりは遠く、危険も多かったようです。 やっと乗った船の中では食べ物が少なく、多くの子供が亡くなった と聞きました。そんな中祖母と母達が無事に帰国できたのは幸運な ことだったと思います。 男の赤ちゃんは病気をしやすく、亡くなる場合が多かったそうです。 祖母は2人子供がいるので優先的に配給をもらえたのと、女の子だ ったので運が良かったと言っていました。 満州で鉄などを作る会社に勤務し、徴兵された祖父はその頃、ロシ ア軍の捕虜になっていました。(シベリアだったかどうかは不明) 私が幼い頃祖父の家に泊まると、必ず捕虜になっていた頃のつらい思 い出を聞かせてくれました。寒くて暗く、食べ物も少ない中多くの人 が病気で亡くなり、祖父は脱走したそうです。 私は覚えていませんが、祖父は生前、ロシア人のことをとても悪く言っ ていたそうです。そんな思いをすれば当然でしょうけど。 でも、ロシア人を憎むような感情は私には生まれませんでしたし、母達 にもないようです。 母が高校生になった頃、中国残留孤児の帰国事業が始まり、母は同級生 達と「自分達もあの中の一人だったかもしれないねー。」と笑いながら 話していたそうです。なんだかリアル。。。 私もその話を小学生くらいの時に聞き、他人事とは思えなくなったもの でした。 今は趣味をたくさん持ち、自由な日本に暮らせてよかったね。 もし今、中国人として生きてたら「反日!」に共感してたのかしら。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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