|
カテゴリ:カテゴリ未分類
当時、会社の同僚が何言ってるのかさっぱり理解できないし、ドクターや患者さんとのコミュニケーションなど考えられない状況が少しずつストレスに感じるようになりました。
心理学の中で、「全く環境の異なる状況下で長く生活し、そして、様々な体験を重ね、また、それが自らの意志とは基本的に相対する時、自らは知らないうちにフラストレーションが持続することによって、あらゆる生活感覚に否定的障害を生じる。」という理論があります。 筆者も短いドイツの夏が終わり、そろそろ秋風が身体を刺すころ、上記の症状に見舞われました。回りの人間がすべて敵のように想えてきて、深い疑心暗鬼に陥ったのです。その頃はひたすら自分を何かに没頭させようと、一生懸命技工に打ち込むことに精神を集中させ、夜はビヤ・ホールに通い、隣で飲んでいるドイツ人と会話を弾ませる毎日でした。 しかし、それも渡独後、1年足らずで消え去り、知らないうちにラボでの中心的な存在になっていたのです。それからは、さらにドイツ語とミリング(歯を造るテクニック)を学び、約3年で『これなら、マイスター学校を受験しても行けそうだなあ。』とヘルマン氏にも認めてもらえるようになりました。 そして、それに追随するように、ドイツを中心としたヨーロッパ各国での講演会、講習会、そして、執筆活動が軌道に乗り始め、週末はほとんど家を空けることが余儀無くなりました。 (続 ●『医歯薬出版/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」より引用』 ★下の写真は中部ドイツ、ミュンスターランドの「デンタル・ラボア・ボッヒャート」での講習会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|