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カテゴリ:日々の出来事
子どもの障害を早く受け入れられる保護者の方もいらっしゃいますが
一般的に、受容には長い時間が必要です。 昨日はスクールサポータ時代のパートナーが遊びに来てくれて、 子育てについて「あ~でもない、こ~でもない」と 時間をかけてお喋りしました。 一般的にお母さんたちは 学校の進度に自分の子どもがついて行っているのか とても気になるし、 早く進んでいれば嬉しいし、遅れていると焦ります。 また、今出来ない事はずっと出来ないのではないか? という不安に駆られたりします。 でも 掛け算、とか 割り算 が いま 出来なくても 1年後に自然と身に着いたりすることも。。。 パートナーの話では 「息子の事はあきらめろ という事ですね?」 と相談を受けた事があって 「諦める のではなく 受け入れるの」 と伝えたと話してくれました。 するとお母さんは 「同じじゃないですか。どこが違うのですか?」 と仰ったと。 これは、私自身にも言える事ですが、以前 私もこの二つの違いが分かりませんでした。 でも最近では あきらめる というのは 将来に渡ってその能力がないと認める事 うけいれる というのは 将来の可能性を信じてありのままの姿を認める事 ではないかと思っています。 特別支援教育士のある講座では、 親の障害の受容について 「長い時間をかけて段階的に障害を受容していく」 というお話がありました。 そして、 別の講座では、 「今までそう言われて来たが、最近では生涯悲哀説というのが考えられている つまり、人生の各ステージに於いて受容が必要で生涯親は悩み葛藤する」 というお話がありました。 私は母親として両方正しいような気がします。 それについて、パートナーは 「そんなの、障害があってもなくても同じ(^^) 各ステージにおいて親はそれぞれに葛藤するんだよ☆ 障害って切り口で見ない方がいいと思うよ♪」 と言いました。 なるほど。 この言葉って最近よく耳にする言葉です。 「障害って切り口で見ない方がいいと思うよ。」 LD,ADHD,PDDは個性である というのは実はそういう意味なのかもしれません。 そして、親というものは子どもに障害があろうとなかろうと悩み、 葛藤するものなのでしょう。。。 改めて考えさせられた1日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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