カテゴリ:日常雑談
どうも私のあまり”たとえ”は上手くないようで、理解されているのか、誤解されているのか相手の反応を見てもいまいち分からない。
だから、今回も例のごとく説明してしまいます。ゴメンナサイね! ポラロイドカメラを手にした時「コレだ!」という感触があった。 普通の写真の場合、撮っても「失敗したな、コレ~。」と思えば、確実に現像にも出さないで闇に葬り去ることができる。デジカメなんて、その最たるものだ。失敗と思えば消去!これが当たり前のカメラだ。 「写真を撮るという行為」と「写真にするという行為」 これは連動しているけれど、「写真にする行為」を半ば止める事ができるのは普通のカメラとデジカメである。 しかし、ポラロイドカメラは違う。「写真を撮る行為」と「写真にする行為」が完全に一体になっている。これは当たり前のことであるようで、実は重要なことだ。どちらの行為も否定しない。「思い」と「実現」の完全連動の姿である。 ”失敗したと思っても、写真になってしまう。” ”写真にしたくないと思っても写真になってしまう。” その時の浅はかな自分の判断で、ほとんど考えもせずに消してしまうデジカメとも違うし普通のカメラのような判断も要らない。写真にしたい思いをすぐに実現してしまう。失敗か成功かなどの判断など受け入れもせずに存在を具体化する。 人生もそうでありたいと最近、切に思う。 例えば、あの人が好きだ!と思ったその時、具体的行動をしたい。砕けても、実っても・・・・・・・。失敗するに決まっている!と行動せずに終わりたくない。また、行動して失敗したと思う歴史も消去せずに大切にしたい。 ん~ん、どうも難しいお話になってしまった。ちょっと無理のある話になってしまった。(反省) でも、そういう風に私はなりたい。(←宮沢 賢治風~) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.16 10:09:27
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